十六夜着。落ち込んでいる九郎が見たのは譲と談笑する望美。
「頼むから、謝るな……」
慕ってきた兄に、頼りにしていた仲間に、率いてきた源氏に裏切られ、信じていた現実が真黒に塗り替えられた心地で逃れ落ちた奥州平泉。
胸中を食らい尽くす悔しさがただ苛立ちを募らせる。
何故。
何故だ。
何がいけなかったのか。
挽回すら与えられないほど、邪魔だったのか。
源氏にとって。
兄にとって。
あれほど眩しく見えていた現実が色褪せて映る。
「………駄目だ」
ここに根付く呪詛も解決していない。
こんな気持ちでは自分が呪詛をかけてしまう。
守りたいこの地に。
守りたい、戦神子に。
「………が、…るの」
「望美……?」
聞覚えのある声がした庭へと足を向ける。
予想通り見えたのは紫苑の髪を持つ少女。
「別に、おれは構いませんけど」
望美が向き合う先には望美の幼馴染みであり己の仲間である譲。
「ありがとうっ悪いけどお願いね?」
嬉しそうに譲に何かを頼む望美が、無性に苛立った。
「九郎さん」
「なんだ」
必要以上に荒い口調に怯むことなく、望美は九郎の背に声をかけた。
「最近疲れてるみたいだから…少し休憩しませんか?」
少し苦笑混じりの声が何故だか苛つく。
「いらん」
「でも甘い物って落ち着きませんか?」
「いらんと言っている」
九郎の反応に望美が違和感を覚え、九郎の肩口に手を伸ばした。
触れるかどうかで九郎が思い切り振り返った。
パン、と乾いた打撲音が鳴った。
ゴトリと低い音は九郎の耳を上滑りした。
「良い加減にしろっ!」
一瞬見えた瞳にはやるせない憤りが宿っていた。
だがそれをそれと望美には認識出来ない。
「く…」
「何なんだ、苛立ってるとわかっているなら近寄るな!
余計なことするくらいなら何もするなっ」
傷ついて揺れる瞳を見ても、苛立ちは募った。
「ぁ………たし…、行きます、ね…」
ぱ、と顔を背けて走り去った。
後味の悪い靄が胸にかかる。
「九郎殿」
朔の落ち着いた声が遠慮がちに通った。
すっと座ると九郎が振り払った望美の手と一緒に弾かれた器を手に取った。
畳に散らばった白いもの。
「淡雪羹…?」
「望美がね、譲殿に作り方を教わったのよ。
あの子料理苦手なのに」
年不相応に大人びた表情は望美の心の機微を知った友人だからこそ。
「あの子、作りながら『ここでは雪は沢山あるけど、それでも雪が好きだって言ってたの』って言うのよ。
………誰の事かしら?」
くん、と視界が軽くなった。
同時に焼き付くほどの罪悪感が広がった。
いつか昔を懐古して、遠くを見ながらそこに今より幼かった己の世界を見つめながら話す自分を、濃紫の瞳は真っ直ぐに今の自分を捕らえ見てくれていた。
なのに、苛立ちをただ募らせていた自分を機敏に感じ取り、慰めようとした望美に当たって。
蔑ろにされて辛いと感じたのは自分なのに。
もう失くしたくないと、誓ったのに。
「望美…っ」
「庭じゃないかしら?」
ばたばたと普段ならば将として気をつけている立ち居振る舞いも不作法に望美を追う九郎の背に朔は聞いているとも知れない手助けを投げ掛けた。
「神子さま」
と、慈愛に満ちた柔らかな声音が九郎の耳にまで届いた。
「泣かないでくださいませ神子さま。
その真珠の涙を止めることが出来ますのならこの銀、なんなりと致します」
何時もならば膝を折り、長躯でも望美に圧迫感が無いよう、主従の意も込めて下から望美を見上げているが、泣き顔を見られたくないだろう望美から常より一歩下がり微かに身を屈めている。
「あのね、わかってたの。色々あって、そっとしておいて欲しい事くらい」
微かに涙に濡れた声に、思わず九郎は壁の影に隠れた。
「なのに、塞ぎ込んで欲しくないって、余計な事した……っ」
違う、と言いたかったのに、声が喉に張り付きそこを過ぎることはなくきしりと床が軋んだだけだった。
歯噛みしながら見やれば長い睫毛に縁取られた銀の瞳とかち合った。
すぐに微笑と共に小さく伏せられる。
「申し訳御座いません神子さま。
私では分り兼ねますので…迷惑かどうかは九郎さまご本人からお聞きくださいませ」
「そ……っ」
銀が視線で示した先には橙の髪。
「九郎、さん……?」
「御前失礼致します」
恭しく一礼すると銀は望美に背を向け邸へ戻った。
「九郎さん……、あの……」
俯いた望美を見ながらさくりと雪を踏みしめた。
「頼むから、謝るな…」
どうしてなのだろう、この娘は。
自分が決めたことには頑として譲らないのに、他人を思いやった事を撥ね除けられるとこうやって謝ってしまう。
突っ撥ねてしまえば良いと思う。
払いのけた手なんか見ずに、銀の手を見ていれば。
そう考えじくりと胸が痛んだ。
「望美は悪くないだろう。……悪いのはおれだ」
緩慢に首を振ったきり黙った望美を見て九郎はほとほと自分に呆れた。
弁慶やヒノエなら、自分が来てから今までの時間で忘れさせることが出来るだろう。
だがあの二人はそもそも望美に八つ当たりなんてしない。
嘆息しようとして、その代わりに背筋を伸ばした。
幾ら悩んだところで彼らのようにはなれない。
なら、少ないけれど言えることは全部伝えたい。
「…雪が、好きだって言ったこと覚えていたんだな。
また作ってくれないか?…今度は全部食べるから」
愛の言の葉には依然遠い。
だけれど、朝露のように瞳に涙を溜めながらも花のように笑う望美の笑顔から、視界一杯に優しい色彩が広がっていった。
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