泰→←あか←天
天真の告白を受けた神子が本当に好きなのは泰明。
世界を分かつのは明日。
「いつでも、変わらず笑顔でいろ」
呼吸さえ邪魔するほどの想いを独りで抱えて生きてく、なんて事出来ない。
何故憧れでは駄目なんだろう。
何故こんなにも辛い恋をしたんだろう。
何故愛してくれるあのひとでは駄目なんだろう。
楽しいとき。
嬉しいとき。
辛いとき。
切ないとき。
浮かぶのはいつでもあのひと―――――――………。
「お前が好きなんだ……。一緒に帰ってくれ。
俺が、一生守るから……」
照れた顔をみられないようにあかねを抱き締める天真とは対照的なほど定まらない眼差しのあかね。
「………は、い……」
それでもあかねは呟く。
――――――あたしの想いは、もう届きませんか?
空気に溶ける必要が無いほど小さな音。
もしかすると唇が微かに動くだけで、空気を震わせる事など叶わなかったのかも知れない。
その、想いのように。
『彼のものを封ぜよ!』
黒麒麟が光に包まれ、息苦しい程の空気が急速に力を無くした。
アクラムの行方は知れないが、蘭も兄の元へと戻り全てが落ち着いた形になった。
その後の、天真の告白。
京の平和招致完遂に沸いた土御門も、片付けに急く女房の足取りと衣擦れを残して静寂が包み込んでいる。
濡れ縁に独り、あかねは足を投げ出して腰掛けていた。
明日、皆と現代へ帰る。
……大丈夫。
同じ世界で生きて、少しだけ曲がった優しさとまっすぐな強さを持っている彼なら、きっと忘れさせてくれる。
長い艶やかな若草色の髪も。
真摯に見つめて瞳も。
時折見せてくれる、和らいだような笑顔も。
薫る菊花の香も、印象付いた全てを。
ちりちりと焦げるようなこの想いさえ。
天真くんは、あんなにもあたしを一途に想ってくれている。
―――――――忘れなければ、辛い。
何より想う事をきっとあのひとは望んでいないから。
重荷だから。
帰らなければいけない。
世界が、違う。
世界が遠すぎる。
胸に秘めて、帰らないと。
「やすあきさん………」
驚くほどか細い声が消える。
なのに想いだけが加速して、膨れ上がっていく。
「神子……」
融けた闇から現れた気配。
見なくてもわかるほど追い求めた気配。
「泰、明さん……」
見ちゃ、駄目だともう本能に近いところで思った。
見ればまた想ってしまう。慕ってしまう。
大切にしたいと願うその想いを貫くよりも、重荷だと思われる方が怖かった。
つい、と視線を滑らせて外す。
「ゎ……忘れ物でもありましたか?気づきませんでしたけど」
「明日」
視線を合わせずにいた泰明からの視線の痛さにあかねは微かに眉を寄せた。
「明日、お前は帰ってしまうのだな」
「………今まで、お世話になりました……」
当たり障りの無い返事だけを選んで返す。
「明日この日が来なければ良いと思っていた」
「え……」
自嘲的に嗤って喉が鳴ったのが聞こえた。
「神子の意思を尊重出来ないなど、私も堕ちたな」
首を左右に振ったあかねの桃色の髪が左右に散った。
「天真は好い男だ」
淡々と告げる泰明の台詞にきゅ、と唇を噛んだ。
淡く微笑む泰明の顔も、俯いている所為であかねの瞳に映る事はない。
「いつでも、変わらず笑顔でいろ」
幸せから、お前の元へと来るから、と。
ザ………と風が凪ぐ。
「……そろそろ冷える。中へ戻れ」
「や、」
「……明日に」
「………っ、泰明さんっ」
思わず顔を上げたあかねが見たのは、泰明が再び闇に融けきったあと。
「やす……っ泰明さぁんっ」
かすれそうな喉から無理やり声にした。
さっきまで泰明がいた場所に、足が汚れるのも構わず走ったが、やはり無駄だった。
「……っ?」
月光に緩やかに反射する光に顔を顰め、その正体を目を凝らして見た。
視界に飛び込んだのは、琥珀石。
それに纏うように装飾された、簪。
琥珀石は綺麗な球状で棒と石の境から二本の紐が下がり、それに一定感覚で小さな花の形をした琥珀石が付いていた。
―――――――覚えて、いてくれた。
何時だったか。
泰明と二人で市に行ったことがある。
そのときに琥珀石が付いた櫛を見つけた。
つい見入ってしまったあかねに泰明が尋ねた。
「琥珀石が好きなのか?」
あかねはそれに是と答えた。
左の黄金色の瞳を見て。
嬉しかった。
覚えてくれていたことが。
その返事のあとの、優しく小さく笑った泰明の横顔が忘れられないから。
その時嬉しかった分、今が切ない。
ぱたり、と然程大きくない琥珀石に涙が流れる。
あかねの瞳から落ちた涙が。
泣かなければ、心が壊れそうなほどの想いが溢れる。
気持ちを伝えずに居ようと決めた決意が、闇の中に停滞する。
「この数ヶ月、お疲れさまでした。本当に――――っ、有難う御座いました……っ」
堪らず声が震える藤姫の背を撫でながら、あかねも涙を溜めていた。
「藤姫ちゃんがいたからあたしがんばれたよ…。
沢山迷惑かけてごめんね?………有難う」
「~~っ……神子さまぁっ」
黒目がちの大きな瞳からぱたぱたと涙が溢れ出した。
普段はこの小さな姫の性格からか、忘れがちだったがまだ十歳なのだ。
宿命の責務に急き立てられていたのは、この姫も同じだった。
安心させてあげることが出来て、本当によかったとあかねは心から思う。
ぱ、とあかねを見上げた藤姫は、心なしかあかねの笑顔に陰りを見つけて、思わず声をあげた。
「あの、神子さ」
「あかね」
微かに少年の色が残る声音がそれを遮った。
あかねの姿を認めるのと同時に、涙を溜めた藤姫の姿を見つけてばつが悪そうな顔をした。
「わり、藤姫。…少し良いか?」
あかねと天真の事を知っている藤姫はにこりと微笑った。
「天真殿……。構いませんわ、席を外しましょうか?」
「いや、良い」
あと僅かな時間を名残惜しく思う藤姫の気持ちを汲んで答えた。
実際外させる内容ではない。
藤姫はそれに再び微笑んだ。
勿論天真が気持ちを汲んでくれたことを透かして。
天真はそれに軽く笑みを返して、一層深い笑顔をあかねに向ける。
「詩紋が最後だからっって作った菓子を包むのを手伝ってくれってさ」
「あたし?」
「……俺がやるっつったらあいつ、『天真先輩は大雑把すぎるんだよ』って言われたんだよ」
あかねと藤姫は一瞬きょとんとして、同時に笑った。
「まあ天真殿…」
「ふふっわかった。……藤姫ちゃん、楽しみにしててね!」
御簾を潜りぱたぱたと遠ざかるあかねの足音を聞きながらふと天真を見上げた。
「天真殿は本当に神子さまをお慕いしていらっしゃいますのね」
見送る天真の表情がとても優しげだったから。
思ったそれを素直に口に出した。
ただ、嬉しくて。
「ああ……。あかねが、誰よりも大切だ」
臆面もなく言う天真の台詞に、藤姫が照れくさくなってしまい、ちり、と冠を鳴らして頭を下げた。
「あちらに戻っても、神子さまを宜しくお守りくださいませね」
「………あかねにもう一人母親が出来たみてーだな」
ぷ、と吹き出しながら言った天真に藤姫の胸に安堵が降りた。
守ると言ったことではない。
頭を上げる直前。
天真の表情に違和感を覚えたから。
優しげで愛おしそうな、天真の貌。
違和感の正体を見付ける事が出来ないまま。
それを問う事も出来ないまま。
あかねたちは、京を発った。
感謝と、労いの言葉と、別離の哀しさの中に愛しさを瞳に込めた笑顔を残して。
自分の気持ちの大きさを持て余しているあかねは揺らいだ泰明の対にならない色の瞳に気づかない。
「戻っ………たぁ―~~……」
京へと呼ばれた時からあまり時間は経っていないらしい。
戻る頃、京では桜は散り切って、雨が降るたび塗り替えるように緑が増し、太陽の光を浴びて濃緑が深くなっていた。
だが頭上にははらはらと薄紅があとからあとからと舞っている。
時間の感覚が戻らず、奇妙な感じがする。
まるで酷く鮮明な長い夢から醒めたような。
チャリ
だけれど制服のポケットにいれた髪飾りの感触が夢ではないと知らせる。
「何か……何も変わってないみたいだけどね……」
右の手の甲にある宝珠をくりくりといじりながら言った。
「何も変わってねぇことあるかよ」
おもむろにあかねの手を握った天真が独り言のように答えた。
「………うん」
天真は握り返したあかねの指先では天真の手を握りきれない手すら愛しく感じた。
思わず、笑顔が溢れる。
「もーっ、そーゆーの、二人の時にしてくれない?行こう、詩紋くんっ」
「わゎっ」
ふわりと癖のない髪を靡かせて背を向けた蘭は詩紋の腕をつかんで歩き出した。
だが決して不機嫌ではないことは口元に滲む笑みで一目瞭然。
一瞬体勢を崩しかけた詩紋も、一度あかねたちを見てにこりと笑うと、すぐにまだ本調子でない蘭に無理のない歩幅で歩き出した。
「蘭っ!お前なあっ」
あかねの手を握ったまま、あかねの歩幅に合わせて、蘭と詩紋の背中を追いかけて歩いた。
お互いの腕の長さ分、距離がある。
お互いの顔は見えない。
空いてる手であかねは簪を探る。
触れた瞬間思わず唇が開く。
風が、嬲る。
肌を。
髪を。
瞳を。
服を。
想いを。
風に攫われた声は花冷えに凍った。
「あかね、何か観たい映画かなんかあるか?」
「……………」
「買いもんとか」
「……………」
「あかね?」
「……………」
「…あかねっ」
「ん……えっ?」
目をぱちくりさせてあかねが天真を見上げた。
四条大橋――――――京都の青龍・鴨川に架ける橋の上であかねの様子を訝って天真が立ち止まった。
人ごみが二人を避ける。
時間が区切られたように感じた。
「あ……天真くん。何?」
「……今日どうするって」
あれから初めて二人だけで出かける日。
待ち合わせして、初めてデートらしいデートをする日。
「疲れてるの、かな……。いろいろあったし」
安心させるように笑ったあかねの笑顔が、自棄に曖昧に映った。
「嘘、だろ」
険しい瞳は揺るがない。
険しさが睨んでいるように見えたのはあかねに後ろめたさがあるから。
びくっと体が震えそうになるのを堪えた、
「嘘なんかじゃ……。本当だよ?」
それでも天真の瞳の高速は緩まない。
逃げてしまいたい衝動を必死で押さえつける。
「嘘だろ」
今度は強く、断定的に。
あかねは口を噤み、重い沈黙が指先まで絡みつく。
「お前、泰明が好きだろ」
今度こそ、体が、指先が、心が震えた。
一瞬に込められた抗えないほどの力が、その一瞬だけ沈黙の拘束を破る。
罪悪感が、背後から迫る。
「あいつからの髪飾り、持ってんだろ?」
「な、んで………」
知ってるの、と二つの意味を込めた問いかけは、ただ震えるだけで終わった。
戻ってからずっと持ち歩いていた簪をポケットの中で握りしめた。
「…っごめん、なさ………」
簪を握る手に力が篭って、爪が掌に食い込んだ。
「怖かったの……。この世界を捨てる事も、泰明さんを想うの、も……っ」
ずっと溜め込んでいた想いが堪えきれずに、喉から、瞳から溢れて落ちる。
「……ごめん、なさ、………忘れたかったの、に…忘れたくなくってっ」
大好きな、大切な友達を頼って、縋って、傷つけた。
いつも守ってくれたから、甘えた。
本当は聞きたくない筈のこんな想いだって、聞いてくれる。
怒ってなじってしまえば良い行動だって、許してくれる。
「謝らなくて、良い。あかねも辛かったんだろ?」
優しく、微笑ってくれる。
優しさが痛くて、涙の止め方を忘れた。
強く握り締めた簪をあかねの手から抜き取って、泣き顔を晒さなくて良いよう、あかねを川の方へと向けて背後に回った。
「俺たちの宝珠はまだ消えてねぇ。
……まだ八葉と神子は繋がってる」
簪を唇だけで咥える。
「あの井戸に……あの世界に行ってこい」
あかねの肩先ほどの髪をするすると纏め始めた。
「俺はあかねが好きだから、送ってやれない」
簪で纏めた髪を留める。
「もう、帰って来んな」
陽に当たって琥珀石が透ける。
「次、戻ってきたら…泣いてたら、そのときはもう二度と泰明になんかあかねをやらねぇからな」
泰明の瞳が、陽に反射したように、透ける。
きらきら、きらきら。
「幸せになってくれ、あかね。お前が大切だから」
変わらない、笑顔で言った。
笑え、と言うようにあかねの頬をぺち、と叩いた。
「てんまく」
「龍神にそれくらいの褒美ねだっとけ」
涙は止まらないけれど、あかねは心からの笑顔を見せた。
「タクシーが一番速いぞ」
「有難うっ」
タクシーが捉まりそうな通りへ向かって、あかねは天真に背を向けて走った。
呼び止め無いよう、歯を食い縛る。
追いかけないよう、脚をしっかりと地面に縫い止める。
もう、手を伸ばしてもあかねが届かないと思うと、蘭が居なくなったときはまた違う、喪失感に駆られる。
天真が目を瞑りかけた。
髪を纏め上げたあかねが振り返る。
「天真くん!」
大きく息を吸って、少しだけ呼吸を整える。
「大好きだよ、天真くん!…元気でいてね!」
愛することは出来なかったけれど、気持ちを優しく見透かして、甘えさせてくれた貴方が。
このまま世界と決別することも、想いのまま生きることも、まだ怖いけれど。
あのひとがいない世界を生きる辛さに気づいてしまった。
さよなら、あたしが生まれた世界。
さよなら、大好きな、あたしを愛してくれた人たち。
さよなら
天真くん。
桜が舞う。
幾千の時空(とき)を経ても変わらずに、不変を守ってひとの心を惹きつける。
凍った言葉が溶け始める。
泰明さん。
――――――逢いたい。
あかねが見えなくなって暫く。
「~~っ、馬鹿じゃないのっ?!」
聞き覚えのある大きな罵声を聞いてゆっくりと向いた。
息を切らして涙目で、兄である天真を睨みつけた蘭がいた。
「好きな人が嘘でも何でも応えてくれたのにっ!時間が経てば本当に好きになってくれたかも知れないのにっ」
敵として出会ったのに、自分を救おうと奮闘してくれたあかねが大切だった。
蘭もあかねの機微には気づいていた。
だけれど、それを告げるとあかねは帰ってくれない気がして、怖かった。
また、自分が一から生活していかなければいけない世界で、独りになる気がしていた。
あかねに近くに居て欲しいと思うのと同じくらい、兄も大切だった。
記憶にある兄は、優しいとは言えなかった。
喧嘩も多かった。
小さい頃から喧嘩が絶えなかったから、泣き虫だった蘭が負けん気が強くなるほど。
なのに、三年経った兄は、少し優しかった。
喧嘩っ早い性格と、機嫌が悪ければ睨み付けているような瞳は変わらないけれど、優しくなろうとしているのが分かっ。。
ふいに反らされる兄の視線を追えば、いつも彼女がいた。
兄の視線の先にいる彼女の視線の先にいるひとも、分かった。
兄が、辛い恋をしているのだと知った。
だけれど上手くいって欲しかった。
本当に、心から。
涙目の瞳がさらに潤いを増し、とうとう溢れ出した。
堪えようとして唇を噛むと、カタカタと震えた。
「延々想うだけだった京にいたころよりもな、この数日のほうが辛かったんだよ」
「え………?」
蘭は涙を拭ってから天真を見た。
「ちゃんとした笑顔で笑わねぇから、あいつが誰をすきなのか露骨に感じちまう。
……ただ、笑顔を見たかっただけなんだ」
隣で、笑って欲しかった。
だけど、本当に倖せなら、誰が隣でも良い。
あかねが、笑顔だけで生きていく事が出来るなら、何だって出来る。
この世界と別れるために、背中を押すことだって出来た。
簡単じゃないか。
泰明がいれば、それで良い。
あいつは、笑顔でいれる。
宝珠が、熱を帯びる。
大丈夫だ。
世界は、そんなに遠くない。
最後に見れた顔が、脳裏を過ぎる。
涙を浮かべても、懸命に笑う、心からの笑顔が、素直なあかねらしいと思った。
似合うと思った。
「これで、良いんだ」
愛(かな)しく、微かに涙を溜めた天真の顔を初めて見た。
涙を浮かべても、安堵に近い笑顔。
「あたし、今晩友達の家に泊まるから」
蘭が、声に力を込めて言った。
「今晩、いないから、ご飯いらない」
「おう………」
こんな時に何を、と言い出しそうな天真の口調に蘭は何となく慌ててしまった。
「だからっ今晩あたしいないからっ」
蘭の発言の意図が読み取れず、天真は眉を寄せた。
「だから!泣いても分かんないからっ」
一気に捲くし立てるように言う蘭の剣幕と、その意味に少し気圧された。
「あたしの事が誘拐事件になったり、八葉とか神子とか……。だから、今晩くらい自分のことだけ考えてって言いたかったの!」
結わない長い黒髪を翻して、バス停まで走る蘭を呆気に取られながら見送った。
次第に込み上げる笑いをお腹に矯めて堪える。
「ふ……ははっ、やっぱりお前は俺の妹だよ」
少し、気持ちが軽い。
詩紋でも連れて、ゲーセンでも行くか。
何でも良い。
何処でも良い。
今真正面から受け止めると、恋情から鬩(せめ)ぐ後悔が背中を焦がす。
携帯を取り出して「流山 詩紋」を検索する。
メールしようとした手を止めて、通話ボタンを押した。
あと数コールでまだ高い感のある声が機械を通して聞こえるだろう。
まだ、この恋も想いも止めることも終えることも出来ない。
いつか、好きではなくなるかも知れない。
だけれど、あかねがいたことを。
あかねと出逢ったことを。
あかねのことを本当に愛したことは、忘れない。
凍って交錯すしていた様々な想いが氷解する。
「あかね………」
雪融けのような想いと言葉を、京都の青龍の流れが背に乗せて流れていく。
旧い井戸の前。
上がった息を整える間もなく井戸の蓋を叩いた。
「っは………泰明さんッ」
ダンダンと叩いても空洞の井戸の中で音が反響して返るだけ。
それが嫌に虚しさを駆り立てた。
「ゃ、泰明さんっ!泰明さぁんっ!」
どれっだけ拳を打ち付けても何も変わらない。
「………っ、酷いじゃない龍神さまっ!勝手に連れてって…逢う筈ない人に逢わせてっ」
驚くほど回りの視線が気にならない。
次第に打ち付けている掌は赤くなっても、あかねは力を緩めない。
「逢いたい……っ」
泰明がいない世界で生きるのが、辛かった。
泰明が隣に居ないことが辛かった。
どれだけ腕を伸ばしても泰明に手が届かない事が辛かった。
どれだけ耳を澄ませても泰明の声が聞こえない事が辛かった。
どれだけ駆けても泰明に追い付かない事が辛かった。
そうして自分にとってどれだけ泰明が大きなものだったかに気づいてまた辛くなった。
辛い恋を棄てられない事も、また辛かった。
逃れたくて、大事な人も傷つけた。
遠回りして、紆余曲折して見つけたものは、想いの大きさと自分に嘘を吐かない事。
「逢いたい………」
もう、何も出来ない自分が、厭で堪らなかった。
力なさげに呟いた声は泰明には届かない。
また、泣いてしまいそうになった。
ぎゅ、と眉を寄せた瞬間、突然かくん、と腕に力が抜けた。
否、腕が引かれた。
屈んでいる状態から落ちる感覚に襲われて、地面に激突する覚悟が追い付かず、思わず反射的に目を瞑る。
その一瞬に見えた、黄金とも白銀ともつかない光。
すぐにぶつかる筈が、浮遊感だけがいつまでも続く。
「きゃ……っ?!」
長く感じる、その感覚。
「やっ、やだっ!」
助けを求める時に想うのは、細いけれどいつでも守ってくれた腕。
浮遊感の中、助けと一緒に顔を思い浮かべたとき、何かに包まれた。
あたたかい、と感じた時、声が降った。
「神子、か?」
低い、耳に心地良い重低音。
知っている。
求めて、止まなかったひと。
「や、す、あ、きさ………」
泰明の胸の位置にある手がカタカタと震える。
抱きとめられたときに背中に回された泰明の手が熱く感じる。
顔を見たいのに見れない。
それよりも感情がただ先回りして涙が出る。
視界が歪む。
瞬けば涙が落ちる。
それを拭おうとする泰明の手を振り払って、距離を詰めた。
腕一杯に抱き締める。
「泰明さんっ……泰明さん………!」
逢いたかったとか、良い太古とは沢山あるけど、それらを込めて名前を呼んだ。
それ以外の言葉を唇に乗せる事が出来ないかのように。
二人とも、力を籠める。
軋むほどに。
あかねの背に回された泰明の腕から離れて簪を引き抜いた。
肩に当たるか当たらないかのあかねの髪がぱらぱらと落ちる。
その握られた簪ごと泰明の手を握った。
「あたし、この石好きです…。それはっ泰明さんの右目と同じ色だから……!」
透き通った黄金に似た飴色。
辛辣に届く言葉の真意を伝えるように、その色から眼差しは、それのように仄かに甘く優しい。
息を吐き出して、気持ちを落ち着ける。
「あたし、和歌とか解りませんし、この世界での字も怪しいです」
思い切り拭って、ぼやけた視界を明快にさせる。
「だけど、すきです、って言いたくって、戻って来ちゃいました」
潤んだ瞳。
晴れやかに微笑う、変わらない笑顔。
だから。
つられて。
嬉しくて。
ただ、文字に籠められた想いを読み解くよりも。
「あかねの声で、伝えて欲しい」
強く、優しく、明確に伝わる想いは、言の葉になって、胸へ舞い落ちる。
柔らかに溶けた時―――――――愛しさになって心に届く。
だから
音にして
言の葉に乗せて
愛(やさ)しい恋を伝える。
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