泰あか&泰花
「泰継を作った清明の弟子が泰明だったら」、な懐古話
「神子のような者に出逢える可能性を信じる方がどうかしている」
からり、と戸を開けた。
場所は安倍晴明邸。
庭が見える部屋で、語らい、泰明に考えるべきものを示し、心の如何を話し、陰陽万物ありとあらゆる理を教え込まれた。
そこよりもずっと奥の棟。
晴明がいかなる弟子にも入ることを禁じた部屋。
他人との接触を余り好まない晴明の一門の弟子ですらこの部屋があることすら知らぬ者もいるだろう。
その部屋を開けた。
随分と開けてなかった筈なのに、埃っぽくない。
そうしてゆっくり、ゆっくり、思い出す――――
「泰明……おるか?」
「…此処にいる」
くつりと晴明が笑う。
「何がおかしい?」
只只無感動で冷たく聞こえる口調。
実際泰明の出生を知る一門の弟子や、力を知る八葉を除いた一部の人間は畏れて遠巻きにする。
だが晴明はまるで虫を捕まえてはしゃぐ孫を見るような目差しを向けている。
今、こうして体調が芳しくなく床についている晴明には泰明はそれよりも愛しい。
「いや、人になっても変わらぬなと思っただけじゃ…。
神子は良いのか?此処のところずっと此処に泊まり込んでいるだろう?」
「そのあかねが気の済むまでいろと言った」
晴明は少し驚いたように目を見開いた。
「何が…」
「ならば泰明、お前、儂が心配か」
くっくっと肩を微かに揺らして笑った。
希代の陰陽師と云われ世間の知る安倍晴明はそこなはいない。
「愛弟子」を只思う。
一度解けた術。
余人には見えない宝珠。
神子に出会って他人を心配する事が出来たのなら、泰明はもう安心だ。
それを実感することも出来た。
まるで聡明すぎる赤子。
あたかも血を分けた息子のように感じる、愛しき愛弟子。
世間どころか同門から煙たがられても、軽ろんじられても、神子と神子から得たものが彼にはある。
それが彼を支える。
きっと自分がいなくなったとしても。
白地に薄墨を落としたような拭いきれない一抹の寂しさはあるけれども。
「泰明」
ひくりと本当に僅かに泰明の顔がこわばった。
「…生きて良かったと思うか?」
問われ、泰明の今はもう無い筈の宝珠が熱を孕み、熱さに右目をしかめた。
右目の下を当てた指を離した。
「…ならば人になりたいなどと願わない」
そうか、と満足げに言った晴明の顔が再び険しくなった。
「お前の同胞が一人いる」
「同胞…?」
核だがな、と付け足した。
「儂にはそれに人型を与える体力はない。だが私の総ての知識を有するお前なら」
「………」
「お前を除いて儂以外は知らぬがな」
過去を手繰るように思い返し、妻には言ったか、と呟いた。
内容からは信じられないほどの短時間瞬巡し、姿勢を正して口を開いた。
「…その者は人形として生かされることでお師匠や私をを恨むやも知れぬ」
柔らかな言葉に置き換えたりせずに可能性を告げた。
「神子のような者に出逢える可能性を信じるほうがどうかしている」
形の綺麗な唇から少し早口でつむがれる。
晴明の顔色は変わらない。
「それでも良いなら、私は力を貸すだけだ」
晴明は感謝や激励もなく深い瞳で返した。
想う。
創り出そうとしている人型はそう辛いばかりの人生にはならない。
人との関わりを持ちたがらない晴明が人型の話をさせた若菜に会ってみたい。
だがそれは――――あかねといれば判る気がした。
庭から見える天はただただ蒼い。
風は花を揺らした。
独特な香で焚き染められた部屋。
陰陽の心得がない者にはただ蛇が這っているようにしか見えない札。
菖をあしらった桐の祭壇。
焚かれた炎。
泰明は欠如したかと思うほど乏しい抑揚で郎々と吟った。
言葉は呪。
呪は呪いでありまじないであり願い。
名前も然り。
真名にはそれだけで力がある。
力自体に正否はない。
あくまで使い手の意思が性質に反映するのみ。
手中に収まっている香の煙が浮かび上がった核にまとわりつき、徐々に体が形成されていく。
燃えつきる片端から香を足していく。
煙を纏うように肢体が露となっていく。
腰上で切り揃えた髪以外は泰明と変わらぬ外見。
瞳は今は伏せられている。
確かに力は備えられている。
ならばそれを誤らないよう。
自分が力を尽しても良い。
此処には事情を知る晴明の息子たちもいる。
同じ位置にある同じ色の宝珠。
次代の、地の玄武。
宝珠を撫でる。
首にかかった数珠がかちりと鳴った。
決して幸せばかりの人生にはならない。
自分が一番知っている。
恨み、憎み、妬み、嫉み、恐怖や畏怖を一心に受けた。
だけれど幸せばかりじゃない事と同様にそんなことばかりでもない。
ならば、人と変わらない。
出逢うことが、出来ると良い。
髪と同様に優しい桃色の想いを与えてくれた少女のような人に、いつか出逢えるように。
薄い唇が開く。
「泰明を、継ぐ者――――………」
長い睫が震え、瞼が薄く開く。
そして数十年後。
「出生のこと、話してくれて有難うございます」
京では尼僧よりも短い髪。
夕刻に吹く風に身を震わせた。
「晴明さんとその「息子さん」に感謝しないといけないですね」
嵐山は行けなくないですし、と笑顔で話す花梨の手を握って立ち止まった。
「神子は…私に出逢い良かったと思うか?」
風が吹き抜ける。
きょとんとした顔で見返していた顔がふいにへらりと弛んだ。
「当たり前じゃないですか」
紅潮しだした花梨の頬に指先で触れた。
じわりと温もりが指先に伝わる。
泰継の手の甲に手を添えて頬を掌の中に預けた。
「龍神さまに呼ばれたこの世界の人間じゃない私と、普通じゃないけれどこの世界で生まれた泰継さんが、この京みたいな…広い世界から見たら小さいところで出逢ったんですよ。
――――奇跡とか運命とかわかんないですけど…凄い事だと思うんです」
花梨の瞳が優しげに細められる。
「晴明さんたちに幾ら感謝しても足りないくらい嬉しいです」
目一杯に広がる花梨の笑顔の向こうに、最初の記憶がふと呼び起こされる。
睫の向こうにぼやけて揺らめく人影。
香炉を手に持ち、顔半分程が真白で塗られ、金の右目の――――。
「泰明に感謝せねばな…」
呟きは誰にも届く事無く、ただ天に掻き消えた。
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