倒れた千鶴と構ってちゃん沖田。
「やだなあ、幾ら僕でも病人には手は出さないよ」
(…ん?)
起きて少し稽古をし、広間に行く為廊下を歩いていた沖田の先に千鶴が歩いていた。
いつも元気よく動き回り、それに合わせひょこひょこ揺れる結い上げられた髪が、なんだか心許なくゆらゆらしている。
足下も、なんとなく覚束ない。
「……千鶴ちゃん?」
呼ばれ、くるりと振り返った千鶴はいつものように笑顔を見せた。
「あ、沖田さん。おはようございます」
「おはよう。…ね、千鶴ちゃん、体調とか大丈夫?」
沖田の言葉に千鶴はきょとんとして、また笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ、元気が取り柄なんで」
その笑顔に安心し、君ってそんな感じだよね、と笑って、並んで広間に向かった。
「で、誰が元気が取り柄って?」
「すみません……」
「馬鹿は風邪引かないっていうけど、馬鹿は風邪に気づかないだけなんだね」
「か、返す言葉もないです…」
沖田と千鶴はそろって広間に向かい、千鶴は櫃に入ったご飯をよそい皆に配ったあと、茶を淹れて回るなど甲斐甲斐しく働いていた。
漸く自分の席に座り、お茶に口をつけようとしたが、湯呑みがするりと落ち、ガツンと派手な音を立てた。
どうした、と隣に座る平助が千鶴を見遣るとぐらりと千鶴の体が傾いだ。
ぎょっとしたものの、反射的に平助の腕は千鶴の体を支えた。
「……え?千鶴?ちょっと…」
「千鶴ちゃん?」
「千鶴…?」
千鶴を女と知る平助はかすかに頬を染めたが、口々に名前を呼ばれてもなかなか反応がない千鶴に眉を寄せた。
そして着物越しにじわじわと伝える千鶴の熱に気付く。
「千鶴、お前、」
「へ…すけ、くん?」
掠れた声で気がついた千鶴は熱の為潤んだ瞳で平助を見上げた。
「ごめ……なんだか力が…」
「お前、熱あんだろ!」
「……え?」
一度伏せた瞳がもう一度平助を捉える前に、千鶴の体はふわりと浮いた。
否、沖田に抱き上げられた。
「部屋戻るよ。斉藤くんと山崎くん、寝かせるの手伝ってくれるかな」
「ああ…」
「では先に雪村くんの部屋に先に向かい、布団を敷いてきます」
「えっだ、大丈夫です、沖田さんも降ろ」
「反論したら黙らせる為に口づけしちゃうよ」
「……………」
そうして今に至る。
山崎は近藤や土方に報告するため、既に退室している。
従ってこの部屋にいるのは沖田と斉藤のみだ。
もう一言言ってやろうと沖田が口を開いたところに斉藤が遮った。
「その辺で勘弁してやれ。彼女は病人だ」
言いながら千鶴の枕元に座り、水を張った桶に手拭いを浸し、堅く絞って千鶴の額に乗せた。
その冷たさに安心したのか、へにゃりと笑顔がとろける。
「ありがとう、ございます……」
表情と同じくらいとろけた声でお礼を言った千鶴に、斉藤は微かに笑顔を見せた。
「少し眠るといい。昼餉前には松本先生をお呼びして診て貰う事にしよう」
困ったように、というよりも申し訳なさそうな顔で何かを言いかけたが、薬が効いたのか眠気に耐えられず、そのまま寝付いた。
「斉藤くん、千鶴ちゃんに優しいね」
僕もあんなくらい優しくして欲しいなあと嘯く。
呆れたように斉藤は溜め息をついた。
「相手は病人だ。お前がもう少し優しくしてやれ」
ちら、と千鶴を見る。
熱の為頬を痛々しいくらい真っ赤に上気させ、呼吸荒く寝ている。
あんな寝方では下がる熱も下がらない。
寝かせる前に寝苦しくないよう、斉藤が障り無い程度には帯を緩めたが甘かったかもしれない。
最初は沖田が帯に手をかけたが、沖田に任せることに危惧し、斉藤が止めた経緯がある。
「とりあえず出るぞ。
女性の部屋に余り長居するもんじゃない」
えー、と渋る沖田の襟首を掴んで、斉藤は千鶴の部屋から出た。
松本に診察してもらい、風邪、と診断された。
気温の変化や、気づかれてはいけない男装生活、「新選組」だからこその緊張感が原因とみられるらしい。
要は疲れが溜まったのだ。
その緊張の糸が切れたのか、夕方から熱がぶり返している。
井戸から汲みなおした冷たい水に手拭いを浸し、絞り直す。
今度は斉藤じゃなくて、沖田が。
その冷たさに浅く眠っていた千鶴が目を覚ました。
「すみ…ませ、沖田さん」
「……いいよ」
何で斉藤くんにはありがとう、で僕にはすみませんなの、と言いかけたが堪える。
多分こういうところが原因だろう。
「起きたなら蜜柑でも食べようよ。
栄養取らなきゃ治らないよ」
昼餉も半分以上残した事を千鶴自身気になっていたのかこくんと小さく頷いた。
それに満足し、沖田は千鶴の背中に腕を滑らせ抱き起こした。
自分で座ることも辛そうな千鶴に苦笑し、自分の肩に凭れかけさせた。
手早く蜜柑の皮を剥いて一房取り分ける。
白い筋に栄養があるとどこかで聞いたからそのままにしてある。
「はい、千鶴ちゃん」
自身の熱で乾いた唇を開き、素直に沖田手ずからの蜜柑を食べる。
蜜柑を押しやる時、唇に触れた指先が甘く痺れる。
(…病人になに考えてんだろうなぁ)
千鶴に悟られないよう、苦く笑った。
半分食べたところで少し辛そうにしたが、なんとかひとつの蜜柑を食べきった。
「ん、いいこだね、千鶴ちゃん」
子供にするみたいに頭を撫でて、そろりと千鶴の体を布団に横たえる。
「あの、沖田さん…」
「なに?」
「気になってたんですが…あのお布団、なんですか……?」
千鶴が言うのはいつの間にか部屋に運び込まれた、千鶴が使っているものとは違う、もう一組の布団。
「ああ、僕のだよ」
さらりと投げ与えられた答えは千鶴の理解を超え、熱で潤んだ瞳を瞬かせる。
「一緒に寝ようよ。病気の時って人恋しくなるんでしょ?」
てきぱきと布団を敷き、もう一度手拭いを冷やしなおして千鶴の額に置く。
「だめ、ですよ…ご自分の部屋でねてくだ、さい……」
「やだなあ、幾ら僕でも病人には手は出さないよ」
さっきも自制したし、と心の中で付け足す。
「移りますか、ら…」
だから、と熱に浮かされた声と瞳で千鶴は訴える。
訴えて、千鶴ははっとしたように息を積めた。
千鶴の言葉に沖田は笑った。
笑った筈だった。
なのに泣き出しそうな顔に見えて、千鶴は怯んだ。
「…大丈夫だよ、僕割と丈夫だよ。一番組組長だし」
ね、と頭を撫でる掌の体温が心地よくて、もう一度戻って、と言いかけた唇は空転し、意識は眠りの深遠に落ちた。
「風邪くらい、引き受けるんだけどな」
千鶴の寝息と、沖田の鼓動しか聞こえない室内の静寂が、ほんの僅か破られる。
誰かの為に自分がそんな事思うなんて、自分でも信じられない。
緩やかで、優しい変化。
「……ん、」
静寂に呑まれそうなくらい小さな声が沖田に届く。
沖田は呼ばれるように改めて千鶴に視線を向けた。
おきたさん、と、譫言のように声無き声で紡ぐ。
「………っ」
都合のいい夢幻のように、もう一度千鶴をみつめてもなにも変わらない。
この程度で顔色を変えるほど、沖田は人生経験を積んではいない。
けれど、困ったように笑った。
「…参ったな、いつも通り自分の部屋で寝てても、君が僕を呼んでると思ったらどきどきしちゃうなぁ」
誰に、ともなく言って、満足そうに笑った。
君が悪いんだよ、と心の中で責任転嫁してするりと千鶴の布団に手を滑らせる。
緩く握られた千鶴の手を握る。
熱のせいとは知っているがこどもみたいだ、と笑った。
「おやすみ、千鶴ちゃん。良い夢みてね」
その良い夢に僕は勿論いるよね、と考えているうちに沖田にもとろとろと睡魔が手招きする。
あたたかな変化は緩やかに愛しく残酷に廻る。今はただ、永遠に似た優しい微睡みに委ねて。
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