黎明録斎藤ED後。斎藤と待ち合わせしてた千鶴に声をかけた人。
「お前と言えど千鶴はやらん。他を当たれ」
※盛大にネタバレするので黎明録斎藤EDを迎えてないひとは注意
数日前、千姫から千鶴に会いに行くと手紙が届いた。
それを先日夫になった斎藤に告げると快諾してくれ、千姫とどこか出掛けるなら一緒に帰ろう、と微笑を向けてくれた。
それを当日、家まで送ると申し出てくれた千姫に話すと悪戯っぽい色を含んだ表情を見せた。
「ふぅーん?旦那様と仲良くやってるんだー?」
「そんな…」
恥ずかしさからそうだよとも、事実なのでそんなことないよとも言えない千鶴の言葉は、中途半端なまま宙を彷徨った。
それを正しく見抜いた千姫は、彼女こそが幸せそうに柔らかく笑った。
「千鶴ちゃんが幸せなら私は言うことないもの。
もし暗い顔させてたらあの男を一発殴る気でいたけど」
「お千ちゃん…」
手紙からもよくわかっていたが、心から千鶴を案じていたのだ。
「ありがとうね。でも大丈夫。―――幸せだよ」
どう言えば伝わるかわからず、結局様々な言葉を込めてこの言葉になったのだが、千姫は理解してくれたらしく、頷いてくれた。
「また会いに来るわね」
名残惜しく千姫と別れ、斎藤の職場付近の、予め待ち合わせ場所と決めていた橋で彼を待った。
「……?」
暫く待っていると、どこからか視線を感じる。
一瞬の後に、風間たちではないかと思い至り、とっさに確認しようと緊張を孕んだ視線を投じた。
「―――なあ、あんた」
知らない声が近いところからかかり、その方を見たがそれらしい人影が見当たらない。
聞き間違いかと首を傾げると、今度は溜め息に似た苦笑が聞こえた。
「下だ、こっちだ」
往来の邪魔にならないよう橋桁から外れたところにいたのだが、千鶴が道を行き交う人々を見ているのに対し、声をかけてきたその男は川を眺めるように座り込んでいた。
千鶴の知らないひとだ。
「あの……」
見ず知らずの男に声をかけられた戸惑いと警戒を混ぜ込んだ声音に、その男は笑った。
「あんた、いかにも人待ちですって顔してると柄悪い男にとっつかまるぜ」
男は千鶴よりも遠い方へ視線を投じた。
つられてそちらをみやると、二人組の男が苛立ったように此方をみており、千鶴と目があうと隠れるように人影に紛れた。
先程の視線はどうやらこれらしい。
別の意味で危険なのだが、なんだか拍子抜けした。
「おれは喧嘩は弱いし、手を怪我する訳にいかない。
でも連れの振りしてるなら出来るからな」
突き放したような語気とは変わって裏表がなさそうな穏やかな笑顔に、千鶴は肩の力を抜いた。
その男は荷物から紙束と墨壷と筆をとりだした。
また首を傾げた千鶴に構うことなく、慣れた手つきで準備を整え、墨を含ませた筆をそっと紙の上に滑らせた。
文字を書いている様子でもなく、不躾とは思いながらもその手元を見守っていると、書き付ているものがわかった。
「絵師さんですか?」
彼は眼前を流れる川を描いているらしい。
そう尋ねるとむずがゆそうに照れ笑いをした。
「まだ絵だけじゃ食えないから、絵師じゃない。
道具を買い足して、他の仕事して漸く食ってる」
内容に反してその声は明るい。
大変な仕事を楽しんでいるその声に、紙面と川を真剣に見つめる瞳に、時代の狭間に散った彼らと夫を思い出した。
「……天職なんですね」
そう思ったままを口に出すと、ずっと風景と紙を行き来していた視線とかち合った。
彼と会って、恐らく初めて。
驚いたように目を丸くして、そして何故か少し泣き出しそうに表情をくしゃりと歪めた。
だが緩い口元は弧を描いている為、気に障ったということではないらしい。
三度首を傾げた千鶴に、気にするなと言うように、ひらりと筆を持ったままの手を振った。
「…そういや、あんたは誰か待ってるんだよな?」
その質問の答えたる人が瞬時に浮かび、どきりと心臓が跳ねた。
ぱっと顔にあつい血がのぼるのが分かる。
その千鶴の変化を見、口の片端を上げ笑った。
「あんたのいい人か」
「えっと、はい…。夫、です」
自分の口から出たその言葉がやけにぎこちなく聞こえる。
「どんなひとなんだ?」
「え?!ええー…と……」
千鶴にとって予想外の質問に大いに動揺したが、思い出すまでもなく常に考えている彼をゆっくり丁寧に想う。
「強くていつも冷静で、合理的なひとなんですけど、本当の優しさをいつも持っていて」
銀雪が舞う月夜に出逢った彼は、最初とても怖かった。
これと決めたらどうやっても揺るがない瞳に、どうしようもなく惹かれた。
堪らなく恋しいひととの生活は、想像以上に早く終止符を打つのだろう。
普通の生活が出来ている為、薬の効果は随分薄れている筈だ。
自分の、出自のため普通より強い生命力をあげれたらとおもうのに、ままならない。
だが本当なら、彼の命は戦の最中に消え、彼と想いを交わすことはなかったのだ。
そのことを思いだし、今ある彼の命と、彼との幸福に自然と口許が綻ぶ。
「叶うなら、…あのひとが望んでくれるなら、また生まれ変わってもあのひとに恋をしたいです」
ふと絵師の男を見ると、その表情から揶揄いの色は失せ、彼の荒削りの顔立ちからは予想外なくらいに慈しむような微笑を向けていた。
「―――あいつが惚れる訳だな」
「え?」
きちんと聞き取れず、聞き返したが、もう一度答えることなく、膝に置いている紙束の一番上の紙を脇に避けた。
「今日は風景を描こうと思ってたんだが、予定変更だ。
あんたを描きたいんだが、いいか?」
「え――えっ?!」
今度ははっきり聞こえたが、だからこそ千鶴は聞き返した。
「勿論旦那が来たら切り上げる。
――旦那の事を想うあんたを、純粋に綺麗だと思った」
「え? え!?」
断ろうと思ったのだが、その真剣さに気付いたらついと顎を引いていた。
「悪いな。ありがとう」
その声に誘われるように、千鶴は腰を落として座っている彼に視線を合わせた。
(少し遅くなったな……)
今日中に終わらせなければならない分を可能な限り早く終わらせたが、今日に限ってそれが多く、少し定時を過ぎた。
昨日のうちに決めていた待ち合わせ場所にはもう千鶴は着いているだろう。
斎藤はその場所に少しでも速く辿り着く為新選組の頃から衰えていない健脚で走っていた。
『…なんだか……逢い引きみたいですね』
待ち合わせ場所を決めた時、そう言って喜色に綻ぶ頬を朱に染めた千鶴を思い出し、もっともっとと脚を急かした。
「は…っ着いた……」
先に待つことになるだろう千鶴の安全を慮って、人通りが多い場所を選んだのだが、そのせいで今度は千鶴が見つけられない。
ゆっくりと通る人を確認しながら橋を渡る。
橋の終わりに差し掛かっても千鶴が見当たらず、一歩進む毎に焦りが斎藤を侵食する。
と、不自然に人が避けている位置をみつけた。
まさかと近づくとそこにはしゃがみ込んだ千鶴と、知らない男がいて、内容は聞こえないが――――知ろうとも思わないが、楽しそうに話をしていた。
(――――おれを)
待っていたのではないのか?
大股で、千鶴との残りの距離を詰めた。
タンタンと重さを感じさせないが荒い足音が聞こえたかと思うと腕を上後方に強く引かれた。
「きゃ…」
瞬きひとつのあとには荒く上下する黒い着物と、少し伸びた髪が視界一杯に広がった。
「おれの妻に用があるならおれが聞こう」
見えないが、声音から表情は伺い知れる。
心配してくれているからこそとわかるが、完全な誤解で彼は自分が危険にならないようにとついてくれていただけだ。
千鶴は背中の着物を掴んだ。
「は、一さ―――」
「やっぱり斎藤か」
誤解で睨まれたのだから怒るのではと思ったが、絵師の男は寧ろ嬉しそうに声を上げた。
「…伊吹か……!」
いぶき、と短く叫んだその名前に千鶴はあっと口許に手をやった。
『絵が上手い隊士がいて―――』
『―――伊吹龍之介と』
彼がその元隊士で、あの錦絵を描いたのだ。
千鶴は誤解も解ける、と胸を撫で下ろした。
「お前と言えど千鶴はやらん。他を当たれ」
解けていない――!
なんとか説明しようとしたが、それよりも男――伊吹が早かった。
「馬鹿、そんな命知らずなことするかよ。
ただの偶然だ、お前んとこのが柄悪い連中に目つけられそうになってたから、連れの振りをしたんだ。
それに、気づいたのは暫く話した後だ」
「え?」
伊吹と自分は初対面の筈だ。
その疑問には斎藤が答えてくれた。
「あの錦絵を見せた日に、伊吹は羅刹化したおれを見たと言っただろう。
あの時に、袴姿の千鶴も見たんだそうだ」
「あ…」
確かにあの頃から、斎藤の側をつき従っていたのだ。
自分を見かけたところで不思議はない。
「斎藤から聞いているかもしれないが、伊吹龍之介だ。
錦絵師を目指している」
「妻の、千鶴といいます」
自己紹介され、千鶴も斎藤の背中から出て名乗る。
そっと斎藤の横顔を見ると、安堵に似た笑みが見てとれる。
彼が武士としての在り方を定めた新選組で、今会えるどころか生死すらわからない人、もう彼岸にいる人のほうが圧倒的に多い。
斎藤にとって、伊吹がただの旧友という言葉だけで括れないのだろう。
「一さん、積もる話もあるのでしょう?伊吹さんとお食事でもされたら如何です?」
私は先に帰りますからと言いかけたが、それよりも早く伊吹が断りをいれた。
「今日は都合が悪いんだ、仕上げたい絵がある」
「そうですか…」
斎藤よりもよほど残念そうに眉尻をさげた千鶴に伊吹は軽い苦笑した。
「その代わり近いうちに邪魔させて貰う。斎藤、構わないか?」
訊ねた伊吹の表情は、所謂満面の笑み、ではない。
どこか言いようのない寂莫をはらんでいるのだが、彼の性質とも言えるのだろう。
斎藤は目元を緩ませ、薄い唇に笑を刷いた。
「歓迎する」
それから幾つか言葉を交わし、彼と別れる直前、伊吹が斎藤の名を呼んだ。
「なあ、斎藤。おれの命の恩人は癪だが芹沢さんだ。
でも、おれの人生の恩人はお前だと思う」
それに肯定も否定もせず、斎藤はただ息吹にまっすぐな瞳だけを向け、千鶴を促し背を向けた。
伊吹も返答がないことは構わず、斎藤と千鶴を見送った。
人ごみに紛れた頃呼吸をするように自然に、互いの指が絡まる。
走ってきた為にいつもより高い体温が、じんわりと優しく千鶴に馴染む。
「―――ねぇ一さん。
浪士組のことで私が知らない話があれば、また話してくださいませんか?」
「ああ。おれも聞いて欲しい話がある」
人混みに消えた斎藤夫妻の背を見送り、千鶴と名乗った嫁と自分の間に割って入った彼を思い出す。
『おれの妻に用があるならおれが聞こう』
片目は長い前髪に隠されていたが、それでもその隙間から漏れる眼光は浪士組の頃と変わらない――いや、更に鋭くなったように思う。
それが妙に彼らしくて、普通ならば寿命が縮むかと思うような白刃のような視線も懐かしいと思った。
言葉よりもその瞳が雄弁なのが、斎藤一だ。
手に持っている紙を―――それに描いたものをみる。
『生まれ変わってもあのひとに恋をしたいです』
微笑んだ彼女は、心から斎藤を慕い、想っているのがよくわかる。
あの夜闇の山の中で羅刹になった斎藤を案じていた彼女は、彼の中の誇りも、義も、誠も、彼の本質が齎す結果も、全て信じて受け入れているだろう。
母親があれほどに固執していた武士の妻、というものは彼女こそを言うのだろう。
母親と彼女を重ね合わせ、締め付けられるような痛みが襲う。
暮れかけの淡い色の空を見上げ、その痛みが生まれて初めての郷愁なのだと気付いた。
それから。
天職と微笑んでくれた彼女を描いてみたい。
血と硝煙の臭いも、剣戟の音も、運命も、全て受け入れたからこその微笑。
――――なあ、芹沢さん。
あんたが作った新選組になった浪士組の終焉りは、決して綺麗なモンじゃない。
褒められたモンでもない。
だが、その終焉と一緒に生きている彼女はあんなに綺麗に笑っていたんだ。
上々じゃないか、なぁ?
夕暮れは、明け方の――黎明の空に似ていた。
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