千鶴の名前。
「さ、斎藤さん!斎藤さん、用事ってなんですか?」
ゆらゆら揺れる、結い上げられた髪を見つけ、雪村、と声をかけようとした。
「ゆ、」
「あっ千鶴!丁度いいとこに」
「平助くん、どうしたの?」
「近藤さんからの差し入れでさー、大福貰ったんだよ。
みんなで食べようっつってるんだ、来いよ」
「私もいいの?じゃあお茶淹れるね」
言ってくれると思ってたぜ、と平助が人なつこい笑みを浮かべる。
「ん?あっ一くん!一くんも来いよ、大福あるんだ」
「あ…ああ」
その返事に気をよくしたのか、平助は鼻歌を歌いながら広間に進んでいく。
「行きましょう、斎藤さん」
「………」
返事はせず、曖昧に薄く笑って、平助の背に続いた。
主だった隊士が広間に集まり、情緒なく山積みされた大福を思い思いに掴み、わいわいと談笑している。
斎藤の隣に座っている千鶴は、その話をにこにこして聞きながら、湯呑みに空きがないか注意をしている。
みつければさり気なく湯呑みに茶を注ぐ。
元々細やかな気遣いが出来ない性質の者も多い為、気付かない者もいる。
それすら構わず、大福を咀嚼して時々話を向けられる話に楽しそうに相槌を打っている。
何となくその様子を見て、当の千鶴の湯呑みの中が冷めきってることが何となく、気になりながら斎藤も相槌を打って聞く。
斎藤と反対側の千鶴の隣に座る平助の湯呑みに茶を注いだとき、あまり大きな動作ではなかったが平助が気づいた。
「あ、千鶴、ありがとな」
「え?ううん、これくらい…」
「気付いてたけど、甲斐甲斐しく注ごうとしてる千鶴ちゃんがいじらしくて」
にこにこしながら言う沖田の戯れ言にすら頬に朱を昇らせる。
「な…」
沖田に同調し、大きく頷く原田が更に追随をかける。
「千鶴ちゃん、良い嫁になるよ」
「ちょ、やめ、てください…!」
千鶴は慣れない賛辞に顔を真っ赤にしで、視線を泳がせながら逃げ道を探した。
「きゅ、急須の中空なので新しいの淹れてきます!」
少し大きめの急須をふたつ抱え、千鶴は慌てて立ち上がった。
殆ど空になった急須は千鶴の腕の中に収まっているが、湯を淹れたら当然急須も熱くなるだろう。
普段ならそんな事思わないが、手伝う、と、声をかけようとした。
「ゆ、」
「千鶴」
斎藤は名前を呼ぼうとして、再度同じ声に遮られた。
「こっち戻るとき熱いだろ、俺もついてく」
「え?だいじょ、」
「千鶴」
さほど大きな声ではない。
だが声が全て途切れた。
「…俺がいく」
えっと声を上げたのは、当の千鶴よりも平助が早かった。
「い、いや俺がいくよ!一くんは――…」
「廚所のほうに用事があるついでだ。行くぞ」
千鶴の了承を得る前に、障子を開いて廊下を進んだ。
一人で大丈夫と言おうとしたが、既に廊下を歩きだしてる斎藤の顔を潰す訳にもいかず、結局追いかけた。
「い、いってきます!」
とたとたと軽やかな足音は次第に遠ざかる。
呆気に取られていたその場所に、足音の余韻が消えてからたっぷり三拍。
「………なに、あれ」
零れた呟きに、殆どの幹部が首を傾げた。
「さ、斎藤さん!斎藤さん、用事ってなんですか?」
ずんずんと前をただ歩く斎藤の足に千鶴は追いつけない。
追いつけない距離を保っている。
「斎藤さーん」
呼びかけるがそれに応えもない。
(なんで「千鶴」って呼んだか、聞いちゃいけない……かな?)
耳朶に刻まれた声が蘇り、千鶴はどうしようもない力で口許が緩むのを感じた。
上機嫌で斎藤を追いかける千鶴なんて知る由もない斎藤はぐるぐると空転する思考を纏めようとしていた。
何故、千鶴、なんて呼び方したのか。
何故、他の話題は気にならなかったのにあのときだけ無性に勘に障ったのか。
(なんなんだ…!)
ちづる、とただの音の並びが、いやに鮮明に残る唇を抑えた。
しめつけられる胸の奥が甘く痛む。
まだその痛みも、答えは教えてくれないけれど。
おまけ
「斎藤さん、廚所こっちですよー?」
「!……すまない」
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