夏休みの終わりと八木沢がいる生活の終わりの日。
「でもコドモだからさ。愛はこんな距離越えれるって信じたくない?」
「明日、仙台に帰ります」
いつも真摯な眼差しにもっと真剣味が色濃くなった瞳で、そう告げられた。
どう答えていいかわからなくて、何か答えると泣きそうで、かなではそっか、と言ったきり曖昧にわらった。
恋心だけではどうしても、どうにもならないことがあるんだと、心に影を落とす。
わかっていたこと。だけれど、淋しい。
「小日向。君はポーカーフェイスが一切出来ないな。いつか損をするぞ?」
「ほ、ほっといて…!」
神南、そして至誠館の送別会をラウンジでしている。
主催は勿論星奏。
食事提供に同じく神奈川・横浜の天音学園も協力してくれている。
なんだかんだで仲が良いのだ。みんな。
七海は兎も角、冥加は想像し難いけれど。
そんな事を考えていたら、八木沢との思い出がきらきら輝いて思い出される。
(でも明日から、いないんだ)
ラウンジでおはようと挨拶を交わすこともない。
ほんのり甘い和菓子を一緒に食べることも、横浜の景色に心躍らせるあのひとを見上げることも。
「さみ、しい」
「そうだな。奴らと恋仲でもアンサンブルもしていない私が寂しく思うんだ」
ぽんぽんとニアがかなでの頭を撫でる。
「言えば良いじゃないか。
八木沢は案外そんな甲斐性ナシじゃないだろう?」
「言えないもん」
例え縋ったところで明日になれば八木沢は仙台に帰るし、淋しいと思う恋心も消せない。
……消したくない。
はらはらと涙を零すかなでを、ニアはそっと抱き寄せた。
ニアはそれ以上慰める言葉は言わない。
本格的に泣き出したせいで早く打つ鼓動よりもゆっくり撫でる、少し低い体温が優しい。
少し落ち着いた頃にとたとたと早い足音が聞こえてきた。
「かなでちゃーん!ねぇねぇ下りてきてよー!ってあれ?」
元気良くかなでの部屋の扉を開けた新とテンションが大きく違う部屋の様子に二の足を踏んだ。
だが同時に原因もわかったらしい。
お邪魔しまーす、と小さく告げて部屋に入った。
かなでとニアはベッドに腰かけているが、新は流石にベッドには座らない。
代わりにニアが座っている方と逆側に足を曲げて座った。
「ねぇ、かなでちゃん。やっぱり降りてきてよ」
「こんな顔で、降りれない…」
「かなでちゃんはどうやったって可愛いよ。…それにねぇ、」
はあ、と呆れたように溜め息をついて扉を見た。
新が開け放したままのせいでラウンジの声が良く聞こえる。
至誠館、神南と菩提樹館に来てだんだん賑やかになった。
「ウチの部長がさー、全然笑わないんだよねー」
ぶーと口を尖らせている新は困っちゃうよねーと呟いた。
「話かけてもああ、って生返事で心ここにあらずっていうの?」
「…え……」
「部長の心はどこにあるんだろうね?」
新に似合う、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「ねえかなでちゃん。仙台と横浜って近くないよね」
「………うん」
「でもね、行けない距離じゃないんだよね。
新幹線も飛行機も、免許取ったら車でも行けちゃう。
何せ国内だから頑張れば日帰りでも」
「……うん」
「おれたちまだコドモだからさ、なーんか遠いと思うけど」
いつもより少しだけゆっくりな口調。
「でもコドモだからさ。愛はこんな距離越えれるって信じたくない?」
「…うん」
「ウチの部長なら信じれるでしょ?」
行ってあげて、と繋いだ新にかなでは涙を溜めた瞳で頷いた。
ニアにお礼を行って階段を下りた。
かなでの足音が消えた頃、ニアはかなでの背中が消えたほうを見ている新に視線を遣った。
「ふうん、いいのか?」
「いーの。おれは部長もかなでちゃんも大好きだから」
主語も何もない、当たり前のように投げられた言葉に新は笑った。
多分、失恋の痛みよりも彼女が雨に打たれた向日葵みたいになってるほうが心が痛い。
「や、八木沢さん!」
「…小日向さん」
笑いかけてくれた八木沢は笑顔だが、やっぱりいつもより曇ってる。
自分も、ニアたちにはこう見えていたんだろう。
自分が持っていたグラスと、かなでの新しいグラスを持って八木沢はかなでに近づいた。
「…目、赤いですね」
「……う…ちょ、ちょっと……」
八木沢から受け取ったグラスに入っていた麦茶を一口飲んだ。染み入るように喉を通る。
その余韻を感じながらかなでは八木沢に微笑んだ。
「寂しくなる前に電話します」
「僕もメール頑張ります」
菩提樹寮に来ることになった時に言っていたことを思い出して、かなでは少し笑った。
「秋の休みに会いにいっていいですか?」
「じゃあ冬には僕が来ます」
かなでは目を瞬かせた。
「受験があるじゃないですか」
「星奏を受験します」
「……え?」
「大学があるでしょう?星奏は」
何か言いたげに言葉を詰まらせるかなでに八木沢は笑った。
「あなたの為にと言えたら良いんですが…去年から少し考えていたんです」
音楽で一番大切なことを教えてくれた恩師が通っていた学校。
家業を継ぐことに今更異存はないけど、もう少し音楽に浸っていたい。
「七ヶ月、待っていて下さい」
八月が終わる。夏が終わるけれど。
「待ってて良いんです、ね?」
涙が残る瞳。
「終わりにならないんですよね?」
明日からいつでも会えなくなる。
だから笑って。
向日葵みたいな笑顔に恋をしたから。
「あなたが望んでくれるなら」
八木沢が思い描いたそれよりもずっと綺麗にかなでは笑顔を見せた。
「――おい小日向。
気持ちはわかるが神南にも挨拶に位来い」
「千秋、なんぼ悔しいから言うてもあんまり野暮なことしたらあかんやろ」
「五月蝿い。…まだ一晩あるだろ」
かなではその台詞をそのまま返したくなかったが、確かに神南にもお世話になった。
かなでが八木沢に断りを入れようとするよりも早く、八木沢が言った。
「ここで待ってますから、行ってください。
千秋の機嫌を損ねさせると芹沢くんが可哀想なことになります」
「ふふ、わかりました。すぐ戻ります」
きちんとお礼をしたかなでに、東金が神南へ来いとかなでに飽きることなく交渉している。
苦笑したかなでが返事をする前に、響也とハルが行かせるかと二人に喧々と反論している。
駄目押しにハルが七海に同意を求め、目を丸くしながら一生懸命頷く。
土岐と大地もかなでの話をしているようではあるが、雰囲気が所謂談笑よりも殺伐としすぎている。
男子高故にこの場で紅一点たるかなで争奪戦に加わることができない事を嘆く狩野を伊織が宥め、穂積が返答に悩んでいる。
律は制止したほうが良いかと口を開きかけたが、止めて微苦笑をしている。
それが全て見えるくらい離れたところで天宮がお茶にに口を付けながら見ている。
丁度降りてきた新が何の話ー?!と負けない勢いで全体に切り込んでいく。
新と対照的にゆるゆると降りてきたニアは口の中で笑いながらシャッターを切る。
そしてかなでは、その様子を困ったようにして見ていたが、終いに堪えきれず笑った。
きっとここは、秋を迎え、冬を過ごし、春が巡り、夏がまた来ても変わらない。
「上手くやったな、至誠館部長」
八木沢に気づいたニアがそっと八木沢な近づいた。
「支倉さん」
「ただこれから気をつけないと大変だぞ?」
つ、と親指でかなで達を指した。
「君のお姫様はみんなのお姫様のようだからな。
放っておくとどこぞの王子に攫われてしまうぞ?」
ニアはは手すりに頬杖をつき、人の悪い笑みを浮かべていた。
「大丈夫です。彼女はそんな人じゃないですから」
「なんだつまらない」
溜め息を吐いたニアに、八木沢は話辛そうに切り出した。
「支倉、さん」
「うん?」
八木沢へと引き戻されたニアの視線から逃れるように、八木沢は視線を逸らした。
「以前、支倉さんが撮った……その、僕たちの写真、は、残っていますか?」
「残っているぞ。あの時は君がすぐに立ち直って、面白くないったらなかったな」
「…あの、残っているならデータでも構わないので頂けませんか?」
目元を真っ赤に染め上げて言う八木沢にニアは一瞬呆気に取られた。
「勝手を言っているのは承知しています。ですが……」
「ふ……あははははっ!
いや、嫌だから黙ったんじゃない。
大丈夫だ、部屋に前に見せたものが残っている。
取ってこよう」
「?あ、有難う御座います」
後ろで結った髪を閃かせ、ニアは今し方降りてきた階段を昇った。
ちらと八木沢を見遣ると、愛しそうにかなでを見つめている。
(情が強いことだ)
見るのも恥ずかしいと嫌がった写真を、かなでと会えなくなるから欲しいなんて、今時そんな恋愛をする高校生もなかなかいない。
そもそもツーショットで照れる男子高校生が希少生物だ。
常に携帯しているデジカメでその八木沢を撮った。
(あとで小日向にやろう)
祭りの最後はどうしたって悲しくなる。
かなでが悲しくなった時、八木沢はきっともう横浜なはいない。
せめて八木沢の想いはきちんと知っていてほしい。
離れても心は寄り添える。
(私も小日向に甘いな)
恋に泣く彼女よりも、恋にときめく彼女のほうが見ていて安心する。
報道部としては何のメリットもないけれど。
(まあ、いいか)
どこか楽しげに、ニアは最後の段差をあがった。
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