この恋が刷り込まれただけの、勘違いならどうしよう。
「あいつの好みなんぞにはまるきり興味ないな」
あいしてる、と告げると笑って応えてくれた大切なひと。
存在ごと愛しいと思うのは、変わりないけれど。
時々その気持ちも作りごとではないかと、まっすぐに気持ちを向けてくれる彼女に不誠実なのではと、怖い。
「ねぇ、この服にこの靴って変じゃないかな?」
玄関先でかなではよそいきの服を着て、普段はなかなか出さない靴を履いて、ニアに何度目かの確認をしていた。
ニアも面倒臭がらず、寧ろ面白げに何度目かの同じ答えを返した。
「心配しなくても君は可愛いよ。
これに難癖をつけたらあいつの審美眼を疑う」
その答えにかなでは嬉しそうに笑ったが、言いにくそうに切り出した。
「えっと……天宮さんの好みとか」
「あいつの好みなんぞにはまるきり興味ないな」
心なしか今までのやりとりで一番速く返ってきた。
(どこがそんな嫌いになるんだろう)
「あいつの感想予想はどうでもいいが、小日向、君が気になるなら髪くらいやってやろうか?」
「ほんと?あ、でも」
寮に迎えに来てくれると行っていたからさほど急ぎはしないが、髪を結って貰うほどの時間があるかと言われれば難しい気がする。
そんなかなでの危惧をニアは鼻で笑った。
「あんな男、待たせてやればいい」
「え…ええー…」
ほら早くと手招きしているニアは既に楽しそうだ。
一部始終見ていた響也は今入ってきた玄関へと踵を返した。
「かなではまだ準備がかかりそうだ。悪いな」
「…いやいいよ、小日向さんが可愛くしてくれているなら。
いつも通りでも可愛いけれど」
天宮は残暑が残るこの季節にまだ待たされると聞いても嬉しそうにしている。
(…わかんねえ)
響也自身なら「んなもんいいからさっさと出てこいよ」と思いそうなものだが。
「暑くねえ?中で待ってても構わないぜ」
「そうだね……いや、やっぱりいいよ」
「そうか?じゃあちょっとかなでの様子みてくっから」
「ああ、小日向さんには僕が来ていることは言わないでもらえるかな。驚いた顔が見たい」
おう、と片手をあげ応えると響也は寮の中へ入った。
遮られた扉を眺めて、天宮は自嘲的に笑った。
この扉こそが、壁に思える。
自分と彼女との。
ひとりで夜を越えるとき。
かなでを思い出すとき。
天真爛漫なかなでの笑顔が、遠く感じる。
この恋はあのスタジオで約束した恋の延長ではないのかと。
「ねえやっぱりこれ似合わなくない?」
「あーもう、んなことねえっつってんだろ」
かなでの声が呼び水のように、天宮の思考を引き戻す。
顔を上げると丁度かなでが響也と出てきたところだ。
かなでを呼ぼうとした瞬間、馴れないヒールによろめいたかなでがバランスを崩した。
あ、と声にならない声が天宮の喉の奥で空回りする。
その間に重力に吸い寄せられるかなでの体は地面に向かう。
間に合わないと気づきながらも天宮はかなでへ駆け出す。
が、その足が二歩目を踏み出す前に、地面とかなでの間に腕が滑り込む。
「っぶねー……。たく、気をつけろよ」
「ごめんね、響也。ナイスキャッチ」
すぐ隣に居た響也は片腕でかなでを捉えた。
かなでもその腕を支えにバランスを取って足早を確保した。
その光景を見て、視界がくらりと揺れる。
自分とかなでは、何だろう。
好意に答えてくれたから、恋人になった。
関係の名前は。
幼なじみだと紹介してくれた彼ほどの信頼も愛情も得ているのだろうか?
否、……ああやって隣で支えれるほど、安心して委ねてくれるほど、愛情を手向けているのだろうか。
疑うべきは自分の心じゃないか。
「――――天宮さん?」
驚いたかなでと、おなじように驚いて、拙いと表情を歪めた響也が視界に飛び込む。
「――…小、日向さん……っ」
思ったより掠れた声で沸いた動揺に気付く。
理由も、動揺の治め方も、治めた振りの仕方もわからなくて、天宮は二人に背を向け走り出した。
「、み、ゃ……天宮さん!」
「おいかなで!」
弾かれるようにかなでは響也から離れ、天宮の背を追った。
「ま…待って天宮さん!ねえ!」
暫くお互い全力疾走して、当然かなでが先に限界がきた。
性別の差は勿論だが、かなでは天宮を呼びながら走っている。
かなでが天宮の名前を呼んでいるのが吐息だけになって声にならなくなったころ、天宮は漸く止まった。
「……まみ、や、く…。聞い…て、ちが、の…っきょ、やは、なんに、も……」
「小日向さん、…違、うんだ」
響也との親しげな関係に悋気を起こした訳ではない。
出会って最初に君に恋をすると言った。
恋人を装ってデートをして。
虚構だらけの思い出に気付いた。
それに比べて、あの幼なじみの言動にも、心にも嘘はない。
形骸ばかりの愛の言葉もないけれど、心からの親愛や日溜まりのような思い出がある。
考えたところで詮無いことだと知っては、いるけれど。
天衣無縫な彼女に不誠実な気がして、怖い。
「うそなの?」
「え…」
「作ったって言う恋に込められたきもちは、うそ?」
怒るかと思っていた天宮の予想は当たった。
だが怒っている理由が天宮が考えていたものと違う。
虚像の恋心は、どこから生まれて、なにが象っているのだろう。
水鏡を覗いたように曖昧だった像がゆっくりと結ばれる。
「本物か偽物かなんて、私もわからないよ?でも嘘か本当かは……」
結んだ像に手を伸ばしてみる。
「天宮さ、」
伸びた天宮の手はかなでの髪を掻き分け、走ったせいで熱い花色の頬に触れる。
「本当だよ」
指先に温度が伝わる。
胸の奥の届かないところに甘い疼痛が走る。
苦しいけれど、このままが良い。
哀切の苦しみも恋情の痛みも、君が与えてくれたものは特別になる。
「大切で、大好きだよ、君が」
こうして誰かで心を満たすことがなかったから、どう伝えていいかわからない。
「君への想いと、君だけは譲れない」
だからどうしても陳腐な、使い古された言葉になってしまう。
「いつか嫌いにならないでって言ったことを覚えてる?」
ことんと肯いて、エメラルドの瞳が天宮を捉える。
「…嫌いにならないで。それから、好きでいて欲しい」
この想いはどうすれば伝わる?
心を全部、モノとしてあげれたらいいのに。
ヴァイオリンの弓を閃かせる指先が、頬に当てた天宮の手のひらに重なる。
「想ってくれるなら、本物か偽物かなんていいです」
「…甘やかしすぎだよ、小日向さん」
「いいんです。
そうやって、真剣に考えてくれることがうれしいです」
ふわりと微笑んだ笑顔に誘われるように、天宮はかなでの腰に腕を伸ばした。
かなでも自分の腕では回りきらない、天宮の背に腕を回す。
(こんなに悩んでくれてるひとが偽物なわけ、ないのに)
天宮はなんでも知っているけれど、自分の心のうちは本当に気付かない。
代わりに自分が見ていようと思う。
好きなものも嫌いなものも、優しさも厳しさも。
まだ、水鏡に映るように不確かだけれど。
腕にもう少し力を込め、天宮はかなでの肩に額を乗せ、は、と初めて呼吸したように息を吐いた。
吐息は制服越しにかなでに当たる。
その熱さこそが、想いの真偽を伝える。
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