柚香というか火→香→←柚の救われない話です。
柚香すら一方通行。
「……フルーツオレ」
「先輩」
そう呼んでくれる声と、春の陽射しみたいな笑顔の傍は、とても過ごしやすくて。
「火原せんぱーい!」
エントランスでぶんぶんと手を振りながら笑顔を見せる香穂子に、呼ばれた火原は負けないくらいの笑顔で駆け寄った。
「お昼買いに来たんですか?」
「そ。香穂ちゃんも?」
「そうなんですけど…断念したとこです」
購買で昼食を買うのは基本的に男子生徒が多い。
整列という言葉にほど遠いこの時間のこの場所は、女の子には辛いのだろう。
「ん~ちょっと待ってて。適当に見繕って良いなら行ってくるから」
「え…わ、悪いですよ!」
「悪くない悪くない!おれのついでだし、ね?」
軽くぽんと頭に手を乗せる。
ただそれだけだけれど、不自然じゃないどぎまぎする。
くすりと笑ってお願いしますと香穂子は笑った。
「じゃああたしジュース買っておきますんで――――」
「火原」
不意にかかった柔らかい声音に振り向くと、苦笑混じりの柚木がいた。
「やあ、日野さんも」
視線と笑顔を向けられ、こんにちはと香穂子も挨拶を交わした。
「あれ?どしたの?」
「どしたの、じゃないよ、全く。火原、財布はどこだい?」
パンパンと叩いてズボンのポケットやブレザーのポケットを探るが、財布の在処は伝えない。
「………あ」
くすくすと笑って柚木はブレザーのポケットから、火原の財布を出した。
「机の上に置いてあったよ」
「あちゃー。ありがと、柚木」
気をつけてと笑って柚木は香穂子に視線を向けた。
「日野さんと二人で昼食かい?仲良いね」
「あ、違、」
「いえ、あのっ」
火原を遮って否定した香穂子に、柚木は軽く瞠り、火原は小さく眉を寄せた。
「火原先輩とここで会って、お昼のパン、頼んだんです」
「そうなんだ?…と、ごめんね、ちょっと用があるから」
「はい……」
「ほんとありがと、柚木」
踵を返した柚木を寂しげに見送る香穂子に、火原は無性に切なくなった。
「香穂ちゃ…」
「火原先輩、ジュースなにがいいですか?」
振り仰いだ香穂子はいつもの笑顔で、火原は言葉を無くした。
「…フルーツオレ」
「了解しました!」
くるりと柚木が消えた方と違う方向へと背を向けた香穂子を見て、火原は購買へ向かった。
ぶつかる肩より、押し流されそうな体よりも、心が痛くて苦しかった。
――――火原の想い人は、火原の親友を想っていた。
『パン有り難うございます。…え?奢りって、悪いですから!
………じゃあ、ジュース奢らせてください、百円ですけど』
香穂ちゃん。香穂ちゃんが好きなひとって―――……。
『え…ええぇっそんなわかりやすいですか?うぅ、どうしよ……』
困ったように笑う。
だけれどとびきり可愛い笑顔。
『はい、あたし、柚木先輩が、好きです』
「………あ」
考え事をしながら無意識に咀嚼と嚥下を繰り返していたらしく、気付けばひとつ食べ切っていた。
食べた記憶もあんまりないが、味はもっと覚えてない。
あと二つパンを買ってあるが、見事に食欲が失せて食べる気がしない。
残ったパンを二つ鞄に放り込み、温度差で結露したジュースのパックに付いてるストローを挿した。
「あま…」
フルーツオレを飲みながらガコンガコンと椅子の前の脚を浮かせて、ぎこちないリズムを刻む。
「危ないよ」
余り強くない力で背を押されて椅子の脚は床で制止した。
「柚木」
柔和な笑顔を真下から見上げ、目が合った。
微笑が、困ったように歪んだ。
「日野さんと何かあった?」
「香穂、ちゃん……」
柚木は、いつだって人当たり良くて、優しくて、それを鼻にかけなくて。
当たり前に誰かを支えることが出来る。
もしも、柚木が彼女を好きなら、応援しなくては。
否、その彼女が、柚木を好きだと。
「柚木は、香穂ちゃんをどう思う?」
「どう…って抽象的だね」
「ん……」
がしがしと頭を掻き机に上半身を乗せた。
「………そうだね、元気で可愛いと思うよ。
コンクールもアンサンブルも頑張って……先輩の僕らも負けてられないね?」
優しい笑顔を向けられていたのはわかっていたが、顔は上げられなかった。
柚木が苦笑した。
「火原は彼女が好きみたいだね」
「うん……て、ええっ」
がばりと思わず顔を上げると、一層楽しそうに笑った。
「頑張ってね、火原」
喜んでしまった自分に、嫌気が差した。
抜けるような空に響く軽やかなフルートの音色。
誰もいない屋上から高く広がっていく。
最後の一音が終わり、その余韻も終わる頃。
カチャン、とドアが開かれた。
「やっぱり柚木先輩」
「………日野」
偶然にしてはタイミングが良過ぎた。
邪魔しないように待っていたのだろうと思うと、微笑ましくなった。
が、緩みそうになった口許を引き締めた。
「何?」
「……何てことはないんですけど…」
すとんと香穂子はベンチに座った。
じっと見上げてくる視線は演奏を心待ちにしているらしい。
不意に親友の想いと、自分が過ぎった。
は、と押し出す気の無かった空気を無理に肺から追い遣る。
「調子に乗ってるんじゃないよ、おまえ」
何を言われたか飲み込めず、だが声音と様変わりした雰囲気にびくりと香穂子の肩が、体が跳ねた。
「甘やかしすぎたようだな。
ただの気紛れで調子乗るのは構わないが、変な期待するんじゃないよ。鬱陶しい」
「何……」
ずかずかと大股で近付き、座ったまま見上げる香穂子の顎を掬う。
「次に恋するなら、もっと相手にバレないようにするんだな」
「っ、」
堪えるように眉を歪め、唇を噛んで何とか泣かないようにしている。
力が抜けた脚で震えるのを叱咤しながら立ち上がった。
「あ……ぁ、た、し……」
涙を一杯に溜め、それに気付かない振りだけして、香穂子は笑った。
「あたしは、それでも、柚木先輩が、すきです」
「っ、」
勢いよく頭を下げ、上がり切る前に踵を返した。
バタンと大きな音を立てしまる扉に、柚木は背を向けた。
「………すきだよ」
いつだったか彼女が自分に向ける、仲が良い先輩以上の感情に気付いて不器用な奴と笑ったのは確かだけれど、愛しかった。
だけれど、それだけじゃ恋はできない。
余りに小さくて、扉が閉まった音の余韻に相殺されそうなほどの声。
もう一度ドアノブが捻られる音がした。
「火原……」
何処か傷ついたように沈痛な面持ちの親友と目が合った。
「柚木、今の……ごめん、全部聞こえた」
「…そうか」
軽く瞼を伏せた所作に、会話を打ち切られまいと火原は口を開いた。
「おれが…っおれが、昼にあんなこと言ったからか?」
「…ないとは言わないけど違うな」
冷えきった頭には痛いほど、冷たい風が吹いた。
「おれじゃ、駄目なんだよ」
髪を翻すこの風の冷たさが緩む季節には、この学校を卒業する。
自由な時間は終焉を告げる。
今よりずっと家に縛られる自分といて、彼女が極当たり前に叶えられる付き合いなんて出来ない。
仮にそれに耐えたとして、一般中流家庭で生まれ育った香穂子相手に、たとえ三男と言えど祖母が是を示す訳がない。
彼女を守る、自分が出来る唯一の方法。
「そん、なの…、柚木自身と家なんて」
「関係ないなんて言えない家なんだよ」
この秋にはっきりした。
家を、守りたいと願った瞬間から自分はあの家は捨てられない。
諦観と自嘲とない交ぜになり、痛そうな笑みが滲んだ。
「追いかければ?
火原はやり方が汚いとか思うかも知れないけどな、恋愛はそんなものだ」
「香穂…ちゃん」
屋上と繋がる階段の死角に座り込んでいた香穂子は、火原の予想とは大きく外れ、ただぼんやりと座っていたようだった。
背に向かって呼び掛ければ、少し緩慢な動作で振り返った。
「…あ―……えと、すみません」
「俺は別に…」
笑顔があまりに弱々しくて、火原は言葉を探せないまま、人ひとりぶんのスペースを空けて座った。
「……言っておいて何ですけど、多分あたし分かってました」
「え……」
「柚木先輩は、あたしが見てるものと違うもの、見てるんだと思います」
少し震えていたが、しっかりした声、だった。
それは柚木が言ったことと当たらずも遠からずだ。
「あたしももっと泣くかと思ったんですが、案外平気ですよ」
そう言って見せた笑顔はいつも通りだ。
いつも通りに、見えた。
「………んな、」
「え?」
空いたスペースを詰めて、抱き締めた。
「そんな訳、ない。恋が実らなくて辛くない訳ないよ」
相対していれば無理に笑うなら、顔なんて見ない。
だけれどそばにいる。
どうかひとりで傷つかないで。
「あた、し、泣かないように頑張…てたんですよ……」
「うん」
「なんでですか……」
「伝えたくて」
泣くのを堪えて、だけれど失敗して、腕の中でやり過ごすように息を吐いたのを感じた。
涙がカッターシャツに染みを作る。
心の痛さを全部受け止められないように。
「俺の恋が、実らなくても良いから、心が痛いなら俺を呼んで。
何があっても、俺は君の味方でいるから」
腕の中の彼女が自分で止められない涙は、カッターシャツの下のシャツを通して漸く冷たさを伝えた。
答えを知った告白に傷ついた心に、その冷たさが染みて痛んだ。
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