大学柚木と3年香穂子。
連絡が取れなくなった柚木に落ち込む香穂子。に、近づく加地(笑)
嫉妬柚木?
「なんで加地くんとそんな仲悪いんですか」
片恋ならここまで気にせずに済んだ。
恋をしていなければ気にしてなんていない。
出会わなければ、と考えたのを止めて、代わりに溜息を吐いた。
「はあ……」
鳴れば良いと期待した携帯は期待には応えてくれず、節電画面へ切り替わる。
パタンと携帯を閉じて携帯を鞄へ放り込んだ。
新しい環境で忙しいのだと思う。
明確に「大人」へと近付いた事で家での立場も変わったのかも知れない。
わかっているけれど、少なくなったメールは寂しい。
(送ったけど返ってこないのとか…あったっけ)
無意識のうちにもう一度溜め息を吐いた。
「ホームルームもまだなのに三回目だよ?」
机に突っ伏している香穂子の隣から、加地の柔らかい声音が降った。
「加地くん……ん~…ごめんね?」
「ぼくは良いんだけど…」
鞄をまさぐって何かを手の中へ握り込んだ。
「これで元気出る?」
握った手を差し出され、受けるように掌を広げた。
「飴……」
掌にバラバラとみっつの飴が落とされた。
「やっぱりだめ?困ったな、今それしか無くって」
「ううん、ありがと」
溜息を吐いて突っ伏していたことに反省しながら、飴の袋をひとつ破って放り込む。
「元気無いのって…やっぱり柚木さん?」
気遣うような色を瞳に浮かべ、探るような加地に香穂子は自分に苦笑した。
「仕方ないよ、ね。大学って忙しそうだし…入学したばっかりで落ち着かないし」
「落ち着かないのは日野さんもでしょ?」
むっと自分のことのようにむくれる加地に香穂子は一笑した。
「加地くんあたしに甘いもん」
「そりゃね。日野さん好きだから」
「えっ!」
思わず息を呑んだ香穂子に加地は小さく手を上げた。
「ふふ、言ってるでしょ?ファンだもの。日野さんか柚木さんなら、断然日野さんの味方だよ」
揶揄を含んだように笑って言う加地に、香穂子は思い付いた頼み事を口に出した。
他意は無い。
けれども本当にそれを言いたいひとは、会うどころか連絡がつかない。
「今日の放課後、ね?時間空いてたら遊びに行きたいなって思ったの」
言いながらちらりと見上げた香穂子の視界には、少し驚いて喜色を浮かべる加地がいた。
「楽しいとこ行こっか」
たったひとりのひとと連絡がつかないだけで、気分が鬱々としといたらしい。
休み時間になる度、加地からお勧めの場所や最近出来た店を聞いているうちに少し心か軽くなった。
(そういえば寄り道とかも久し振りだなー…)
ホームルームを終えて教師がかける号令に合わせて礼をして、机の横に引っ掛けている鞄を取る。
「今から行く?それともヴァイオリン弾いてく?」
「んーお昼弾いたし帰りに公園でも寄るから」
鞄とヴァイオリンケースをしっかり握って教室を出る。
「結局何処行くか決まらなかったねー」
「そうだね。でも甘いもの食べたくない?」
「あっ食べたいかも!」
「服とか見たいものとかあったら遠慮無く言ってね。日野さんの買い物なら付き合うから」
つられて笑ってしまうほどの笑顔と、香穂子に合わせた歩調が嬉しい。
傾いた陽光と、緩められた歩幅が春になる前の柚木と微かに重なる。
もしも、柚木ではなく。
「加地くん、を……」
すきになっていたら、寂しさなんて感じなかった?
見上げて、首を傾げる加地を視界に定める前、加地との間を切断する声が響いた。
「香穂子っ」
呼ばれたのを認識する前に腕を引かれた。
千鳥足になりながらもなんとか体勢を立て直す。
「……柚木さん…」
隣にいた加地は崩れた体勢のせいで正面にいて、微かに眉を寄せている。
それよりも意識が傾いたのは、加地が呟いた名前。
「柚木、先輩……?」
不機嫌そうに自分を見下ろす柚木と視線がかち合う。
だがそれは一瞬で、逸れた柚木の金色に煌めく瞳は加地を捉える。
「悪いけれど返して貰うよ、加地くん」
「日野さんが良いなら構いませんけど。
……でも、奪われる方も奪われる方だと思いませんか?」
柚木は分かりやすい程不機嫌の上に作られた笑顔を張り付けていたが、それも落として数拍、加地の怒りを濃縮するように細められた瞳と対峙した。
そして香穂子の腕を掴んだまま踵を返す。
「せんぱ、」
「肝に命じておく」
「か、加地く……」
「また明日ね、日野さん」
大股で進む柚木に合わせ小走りになる香穂子はひらひらと手を振る加地に頷くだけで精一杯だった。
「わっ!きゃ……!」
車の中に放り込まれ、柚木の腕から開放された。
「どういうつもりだお前」開口一番に言われ、流石に香穂子はむっとした。
「…何処かの恋人が連絡つかないからじゃないですか」
「だから浮気?」
「ちが…っ違います!友達と放課後に気晴ししたかっただけです!」
半ば睨み合うような張り詰めた空気を決壊させたのは、視線を逸らした香穂子だった。
「寂しかったんです……。か、加地くんは、友達で……だから、」
余りに優しくしてくれるから、もしもなんて考えたのは確かだけれど、誘ったのが誰でも同じように付いて行った。
徐々に降りて行った視界に映らないところで、柚木が溜め息を吐いた。
「何処か行きたいところある?」
声音は柔らかくなったが、それが一層辛くて逸らしたまま答えた。
「海、行きたいです」
行ってくれる?と運転手に告げると柚木は座席に身体を埋めるように凭れかけ、口を噤んだ。
香穂子も口を開くタイミングを逃したまま景色だけが流れる。
(会いたかったのになあ……)
手を伸ばせば触れられるのに、手が伸ばせない。
視線を上げればその姿を映せるのに、視線を上げられない。
涙で景色は滲んだけれど、涙は零せなかった。
春先の夕暮れの空気は、重くなった空気を一掃するように冷え冷えと包んだ。
香穂子は柚木を待たず砂浜へと降りた。
ローファーに砂が纏わりつくが気にしない。
ざくざくと踏み締め、波打ち際へ近付く。
「……香穂子?」
打ち寄せる波で湿った砂を越え、香穂子は真っ直ぐ海へ向かう。
「香穂子っ」
語気を荒くした柚木に構わず、脹脛がしっかり浸かったところで振り返った。
「香穂子、風邪引くぞ」
柚木もさくさくと踏み鳴らして近付いたが、ある程度距離を置いて止まる。
「もしも風邪引いたら側に居てくれますか?」
「………っ」
「一瞬でも、顔、見に来てくれますか?」
「……香………」
交錯した視線はただ空虚に過ぎた時間の長さだけを伝える。
動けずにいた柚木に香穂子は力ない微笑を浮かべた。
「…ふふ、すみません、言いたかっただけです」
水遊びするように軽く水を蹴って柚木に背を向けた。
「ちょっとだけわがまま言いたかっただけなんで、」
空の蒼と、海の碧が混じるところで、海老茶の髪が汐風に靡く。
「気にしないでくだ―――」
言い切る前に激しい水音が語尾を遮った。
香穂子が驚いて振り向く前に抱きすくめられる。
「せ、」
「香穂子」
香穂子の耳のすぐ側に寄せられた柚木の唇が、ただ空気を震わせるように優しく名前を紡ぐ。
足に打ち寄せ引いていく波の冷たさよりも、胸で交差するように回された柚木の腕の暖かさに意識が囚われる。
「放してやれる自信がないから、離れてたって言ったら、信じる…?」
柚木は腕に少し力を込めなおして言ったが、柚木自身に届いたその声音は予想以上に力が無かった。
香穂子がどういうつもりで柚木と付き合っているか、柚木は知らない。
それでも、柚木が戯れに将来を匂わせるとくすぐったそうに、薄桃の頬をもっと赤くして微笑うのが愛しくて。
万が一をらしくもなく恐れ、断定的に聞くのを避けて、家に反対されても強行突破出来るだけ自立をしたくて、学生と家の会社の仕事を手伝っていた。
家を捨てたい訳でもないから、手伝いは点数稼ぎの意味も込めて。
メールも、受信した時間と返信する時間の齟齬が距離を感じて返すのが嫌だった。
目を逸らし続けている、疲労からの体調不良も一緒に気付いてしまいそうで。
それが一番柄でもない。
けれど一番に大切にしようとして、傷付けた、なんて。
(こんなに不器用だなんて思わなかったな…)
「先輩……?」
「言ってごらん」
柚木は香穂子の髪に唇を押し当てて言った。
「言いたいこと全部。叶えてやれるかはともかく、聞いてやるから」
少しためらって、香穂子は柚木の腕に触れた。
「メール、返してください」
「悪かったな」
「ちょっと会おうとか言ってくれたらとっても嬉しいんで、何時でも良いから呼び出してください」
「夜は却下」
「なんで加地くんとそんな仲悪いんですか」
「お前に近付くから気に入らない」
「……会うよりも、体休めてください。顔色悪いです」
「……もう大丈夫だ」
柚木の微笑につられて香穂子の口許が弧を描いた。
「それから、寂しかったです」
「…忙しかったんだ」
わかってます、と拗ねたように言う香穂子から自分の表情は見えないとわかった上で柚木は優しく微笑した。
「そんなに寂しい思いさせて、悪かったな」
返事の代わりに、香穂子は腕の中で体の方向を変え、抱き付いた。
どっぷり海水につかった足を車内に置いてあったタオルでしっかり水気を拭いてから、柚木と香穂子は車の中へ戻った。
「全く、お前のせいで春の海に入る羽目になった」
「す、すみません……」
半ば本気だったが、柚木が絶句したり呆れたりしたらすぐに上がろうと思っていた上、そもそも柚木が海に入ると思っていなかった香穂子は項垂れるしかなかった。
膝に置いた手を弄んで、そこに視線を置いた香穂子を一瞥した柚木は自分へと溜め息を吐いた。
「お前ね、おれの恋人なんだよ。『会いたいです』位メールに入れろ、馬鹿」
「だ、だって…!」
香穂子は柚木にメールは送っていたが、それだけは打ち込まなかった。
「本人のおれが良いって言ってるんだ。余所の男に近付かれるよりずっと良い。
それに、会いたいのはお前だけじゃないかも知れないだろ?」
口端を上げて傲岸なほどの笑みを香穂子に向けた。
「……ほんとですか?」
思わずついて出た香穂子の科白から一拍。
柚木は香穂子の腕を掴んで引き寄せ、前傾した香穂子が咄嗟にシートに手を着いて直撃を防ぐ。
柚木はさらりと落ちた髪から覗く香穂子の耳元に顔を寄せた。
海で名前を呼んだときを頭の端で思い出す。
「お前と同じくらいには、おれも寂しかったよ」
「っ!」
言って、顔を真っ赤に染めた香穂子の唇を掠め取った。
「今度の土日、空いてる?風邪なんて引くなよ」
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