HP「オレオ」の7万打お礼小説。
大学生柚木と高3香穂子のバレンタイン話。
「……なんで溜息なんですか……」
「………どうしよ…」
通っていれば何とも思わないが、「学校」が持つ排他感はかなりのものだと、香穂子は思う。
制服や年齢、知り合いの有無。
すべてが違うだけで見られている気がする。
多分周囲は「この時期に学校見学?」と訝っているだけだろうが、どうしても勘繰ってしまう。
他所でも星奏学院付属の大学であれば、何度か図書館へと出向いたことがある為まだマシなのだが。
「………どうしようかな……」
もう一度誰ともなく呟いた香穂子は星奏学院の普通科の制服を着て、柚木が通う外部の大学へ来ていた。
少し遡って二週間ほど前。
「お前、バレンタインにウチの大学に来るなよ」
「えっなんでですか!」
車窓から流れる、いつもより可愛く装飾された街並を、その雰囲気と同じくらいうきうきとして見ていた香穂子は柚木のその科白に眉尻を下げた。
「お前ね……去年おれが大変だったの見ているだろう?」
「知ってます、けど…」
何せ去年はわざわざ義理に紛れさせたのに、それでも柚木の意志が無ければ渡せなかったほどだ。
「守ってあげるって言ったけどね、自分で守ることもしてくれないと危なっかしすぎる」
「……なんでそんなファンばっかりなんですか」
女の嫉妬は怖い、なんてこの半年で良く知ったけれど。
あからさまにへこんだ香穂子に柚木は苦笑して、葡萄茶の髪を撫でた。
「その次の土日は空けてあるから我慢しろよ」
こくん、と頭の重さに任せ香穂子は頷いた。
そしてその話は終わり、触れないようにしていた。
けれど、良く考えればおかしな話だと思う。
(なんでバレンタインに彼女の私が会えないの…!)
その憤りが、香穂子にここまで……柚木が通う、外部の大学まで来させた。
柚木が自分を色んなものから守ろうとしてくれているのは、わかる。
守るとか、それ以前に自分が危ない場所に立たないようにと庇ってくれたからだと、わかっている。
けれど柚木の立ち居振る舞いや容姿、彼が意図して作り上げたものがどうあれ、香穂子にとって柚木は柚木でしかない。
手持ち無沙汰に抱え直した鞄の中には、昨晩作ったチョコが入っている。
(去年は買うだけで精一杯だったけど)
初めてのバレンタインは、自分はアンサンブルに奔走していた。
だから、少しだけ頑張ってみたかった。
「あれ?日野、さん?」
かかった声に、柚木かと思いぱっと顔をあげた。
だが喜んだ一瞬後に、柚木の声でないことに気づいた。
いたのは知り合いではない、私服を着た男子学生。
「えっと……」
「ああ、ごめんね。俺、星奏の普通科の卒業生なんだ」
制服着てないからわかんないよね、と笑った顔には確かに見覚えがあった。
「いえ!あの…顔は、覚えてます」
「そ?コンクールから応援してた甲斐あったな」
おどけたその笑顔に、香穂子は何となく安心感が湧いた。
「……と、日野さんがここに来てるってことは柚木かな?」
「は、はい……」
少し気恥ずかしくて、俯いた香穂子の上で笑った気配がした。
「良いねー初々しくて。
柚木かー。柚木ねー……」
彼は何処に居るか思い出す、というよりは言い方を考えあぐねているように見えた。
香穂子はその仕種にピンときて、けれど後悔した。
「あー……捕まっちゃってますか…?」
「うーん、日野さんいるの知ってるから何とかしてあげたいなーとは思ったけど……火原ほど仲良くないからさ」
「いえ……私実は約束もなく勝手に来ちゃったんで……」
きゅっと鞄をきつく抱え直して、香穂子はお礼を言って踵を返そうとした。
「おいで。柚木のところまでなら案内してあげる」
「い、いえ!そこまで迷惑かける訳には…」
「口頭で説明しても多分行けないよ?」
香穂子は柚木に会うことが前提になっている話に慌てた。
「あの、私もう帰りますから……」
「どうして?」
心底不思議そうな顔をする先輩に、思わず香穂子は言葉を無くした。
「バレンタインじゃない。恋人に会うのに理由なんて、それだけで十分だよ」
その科白と、笑顔に、香穂子は思わず泣きたくなった。
道は彼が言うほど複雑ではなかった。
おそらく制服で悪目立ちする自分の為にわざわざ付き添う理由だったのだろう。
「今はこっちの教室にいると思うけど……」
その教室が何かは知らないが、きゃあきゃあと姦しい女の子の声で柚木の存在を確認する。
正直気が重い。
来るな、と言われていたのを破って来てしまったことが、ぐるぐると不安を作る。
だがそんなことはお構いなしに彼は引き戸を引き開け、声を張り上げた。
「柚木ー!可愛い娘来てる!」
「ちょ……!」
流石に泡を食った香穂子が肩越しに仰いだ。
ぴたりと止んだ喧噪に、その分の視線が香穂子に突き刺さる。
「香穂子……」
柚木が視認したのを確認して、彼は少しだけ身を屈めて香穂子に耳打ちした。
「頑張って、日野さん」
それだけを残して、今しがた開けた扉から出て行った。
怒っているかと思って、香穂子は恐る恐る柚木を見返した。
ひたすら驚いてた表情が一瞬だけ微苦笑になって、そして擦り替わるようにいつもの微笑を作った。
「ごめんね。彼女が受け取れない理由だから」
(え?)
「行こうか」
名残惜しそうな声と、香穂子を煙たがるような声が聞こえたが、柚木の科白が気になって上滑りする。
香穂子へと歩み出て、肩を抱いて庇うようにして教室を出た。
「全くお前は……」
柚木の科白の意味を考えていた香穂子の頭上で、少し呆れたような声が聞こえた。
ぱっと見上げたが、柚木は香穂子を一瞥しただけで前を向いて歩いた。
声音と、前を見て交わらない視線の柔らかさと、肩を抱いたままの手が、決して拒絶ではないことを伝える。
人目を避けるようにして進み、空き教室へと入った。
「あいつ、知り合いだったの?」
「え?顔を覚えてただけですよ。連れて行って貰ったんです」
少し不機嫌そうな柚木の、その表情の意味がわからない。
少し考えて、カチリとピースが嵌るように何かが閃きそうだったが、その音が鳴りきる前に柚木が口を開いた。
「来るなって言っただろう?」
「でも……会いたかったんです」
腕を組んで机に寄りかかれる柚木の正面で香穂子は俯いたまま話した。
「バレンタインなのに、私が、私だけ、会えないなんておかしじゃないですか……」
ぽつぽつと話す香穂子に柚木は短く溜息を吐いた。
「お前を敬遠したわけじゃないよ」
「知ってます!知ってます、けど……」
どう伝えて良いかわからなくて、言葉が途切れてしまった。
静かな教室で、香穂子の声の余韻が消え、沈黙が落ちた頃。
「……守るって言っただろう?」
途切れた言葉が見つからなくて、香穂子はただ頷いた。
「それをちゃんと実行しようとしたんだ……」
改めて見た柚木は香穂子から顔を逸らし、話を続ける。
「だから今年から香穂子以外のものは受け取らずに居ようと決めたけどな………」
何かを続けようとして、柚木はゆるゆると息を吐いた。
「……なんで溜息なんですか……」
「五月蝿い。
…だから、他は断ってるのにお前から貰うと要らない角が立つからって言ってるんだ」
全く、と机に寄りかかって交差させた足を組み替える。
「断ると受け取るより時間がかかるから放課後の約束も出来なかったんだ」
顔は逸らしたままだ。
電気をつけていないが、差し込む陽光で明るい。
何となく、柚木の頬が赤い気がした。
「梓馬さん」
「なんだ」
「………あの、断ってるのを私に見られるのが恥ずかしかったんじゃないですか?」
半分本気。半分冗談で言った。
が、ゆっくり振り向いた柚木が軽く香穂子を睨んだ。
柚木が本気で睥睨すると、容貌の造形が綺麗なだけに迫力があるが、今は照れが入っている為に迫力は半減以上だ。
香穂子の胸の真ん中が切なく締め付けられる。
「梓馬さん……っ!梓馬さん可愛い!」
「十九の男に可愛いって言うな」
「ふふふ、大好きです、梓馬さん!」
知ってる、と答えて柚木は手招きした。
「おいで香穂子。くれるものがあるんだろう?」
柚木は近づいた香穂子からチョコが入った鞄を受け取り、腰を掬ってそこで手を組んで腕の中で閉じ込めた。
「梓馬さ…っ」
「ふうん、これ作ったの?」
「そ、うです、けど……」
「ラッピングが歪だね。良いけど」
「ちょ……っやっぱり返してください!」
柚木の腕の中で振り返ろうと足掻くが、叶う訳はない。
ばたばたとしている香穂子の肩を押し、柚木は軽くバランスを崩した香穂子を胸で受け止めた。
「だーめ。お前、何の為に居たたまれない思いまでしてここまで来たの?」
くすくすと笑う柚木に、香穂子はさっきの少し照れた柚木がもう居ないことを悟る。
悲しいほどいつも通りだ。
諦めて項垂れた香穂子に柚木は笑った。
「チョコも手作りにして、今日わざわざこんなとこまで来たのは褒めてあげるよ。
今日一日、優しくしてあげる」
優しく、なんて恋人なら当然だ。
そんなことをさも特別かのように、傲岸不遜に、綺麗に、微笑して言うひと。
どんな彼氏だ、とか、思わない訳ではないけれど。
けれど心でどれだけ苦言を呈しても、本気でないことは誰よりも自分が知っている。
恋をしたひとに、香穂子は甘い甘い恋心を、チョコと一緒に明け渡した。
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