「恋花百科事典」さまに提出作品。
「あたしも、寂しいよ…」
志水はひとり、一年近く恋人と思い出を重ねた森林公園に来ていた。
居る訳ないと、知って居るのに、何故来たのだろう。
何故、と理性が問い掛けて、もっとずっと深い、本能に近いところが「逢いたいから」と返事する。
いつも二人で練習している森林公園の春は瞬く間に過ぎて、少し暑くすら感じる頃には進路で慌ただしくなった香穂子が遠くに行くようで、胸が痛くなった。
それが「寂しい」という名前だと知ったのは最近のこと。
いつも休日や、学校で練習出来ない放課後、いつもここにで練習していると言ったひとつ上の恋人。
きっと自分がいないときも、この木々たちは彼女の音楽を聴いて居ると思うと羨ましかった。
知らず眉をしかめて俯いた視線の先には、少し前は群生していたシロツメグサ。
今は遅咲きのその花が幾つかひっそり咲いていた。
群生して居た頃に二人で来た時に「昔シロツメグサで花冠作ったんだよ」と笑って話してくれた香穂子が過ぎった一瞬後に思わず息を呑んだ。
遅咲きのシロツメグサは、自分のように思えた。
もう少し早く芽が出ていれば、咲いていれば逢えたのに。
なのにそれが叶わなかったばかりに寂しい想いを抱えて、次へと準備する花を見守らなくてはいけない。
たかが一年。
なのにこんなに遠くて、幾ら努力しても到底届かない距離がある。
涙が出そうになって、唇を噛んだ。
――――――ひとりで来なければ、輝いた思い出があるこの場所を辛く思わずに済んだのに。
さり、と小石が擦れる音がした。
「え……桂一くん?」
耳に心地よく、鮮烈に輝く声。
「香穂先輩……」
ゆっくりと振り返った志水が少し蒼褪めた顔で、微かに涙を溜めていることに香穂子は驚いた。
「け、桂一くんっ」
駆け寄った香穂子を少し強引に抱き付いた。
「桂一、くん?」
抱き締めたそのぬくもりは久しぶりに感じる気がした。
抱き締めたそのひとは、思い返すよりもずっと綺麗なひと。
「置いてかないでください…」
自分でも驚くほど掠れた声。
香穂子も驚いているだろうと思ったら優しく抱き締め返して来た。
やはり、年上のひと、なのだ。
「遅咲きのシロツメグサみたいに、ぼくは後ろを見てるだけしかできませんか…?」
更に力を込めると腕の中で香穂子が身を捩った。
だけれど緩めることが出来ない。
「あたしも、寂しいよ…」
いつも逢っていたから今まで気にならなかったたったひとつの年齢。
同学年なら出来たのに進路の悩みごとを共有することも出来ない。
悩んでる間、彼が何しているかなんて気にならなかったことが気になる。
だけど。
「あたしね、学院付属の大学にいこうと思うの」
去年初めて触れたヴァイオリン。
好きだとのめり込んだそれを、愛してるひとが好きと言ってくれたから、もっと好きになれた。
叶うなら一生続けたい。
永遠に似た時を貴方と過ごしたいと想うように。
「学生のうちはそうもいかないけど、卒業したら圭一くんはすぐにあたしに追いつくよ」
学校を出れば多少の年齢差は気にならなくなると聞いたことがある。
「追いついて、隣りを歩いて?」
季節は巡って、またきっとシロツメグサが咲く。
「また来年来よう?
今ここに咲いてるシロツメグサの種が、来年には他のシロツメグサと一緒に咲いてるかも知れないし、先に咲いたものが後に咲くかも知れない」
暗闇で彷徨っていた子どもが篝火を得て帰ってきたように安心感が広がる。
そして腕の中のひとに愛しさが募る。
「………ん、」
「え?」
「来年、シロツメグサが咲いたら、冠の編み方教えてください」
ひとつ咲く路傍の花と同じ寂しさを抱いた僕から、路傍の花と同じくらい強く前を見続ける貴女へ、隣で咲く約束の証を。
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