うっかりホラー番組を見た香穂子に呼び出された加地。
「香穂さん、流石に僕じゃ取れないから…」
夜、加地は自室で読書をしていたとき、不意に携帯が鳴った。
(ん?これは…)
鳴って居るのは加地が変えている唯一の携帯の着信メロディ。
急いで加地は携帯を開いて通話ボタンを押した。
「こんばんは、香穂さん」
『あのね葵くん、今大丈夫…?』
心なしか香穂子の声に張りが無く、震えている。
「大丈夫だよ。何かあったの?」
『そんなんじゃないんだけど………』
「うん?」
『い、今ね、ホラー番組やってるでしょ?』
「あー天羽さんと話してたやつ?」
『さっきまでお姉ちゃんと見てたんだけど……お姉ちゃん、会社から呼ばれて……』
ふと嫌な予感がした。
嫌な予感というか、嬉しいというか。
『私こういうの、だれかとなら平気なんだけど、ひとりだと怖くて…。
……っ!……消すと気になってそれも怖いから、出来れば来て欲しいんだけど…』
加地は自分が選ぶ答えはわかっていたが、それでも一瞬迷った。
(良いのかなあ……)
時間は夜で、付き合っている彼女の家には今彼女の家族はいない。
躊躇は生まれるが怯えている彼女をひとりにしていられる訳はない。
加地はジャケットと財布を掴んで扉を開いた。
『……駄目、かなぁ?』
「わかった。すぐ行く」
階段を何段か抜かし半ば飛びに降り、加地は全速力で香穂子の家に急いだ。
もう見慣れた香穂子の家に着くと、インターホンを鳴らすか迷っていると、扉の鍵がカチャンと開いた音がした。
携帯を鳴らしてみようと、携帯を開いたところで扉が開いた。
「や……っ!」
小さく悲鳴を上げて扉に半分体を隠し、目を凝らしている香穂子に笑いかけながら加地は携帯をズボンに捩じ込んだ。
「驚かせてごめんね香穂さん。僕だよ」
「ごめん…今コマーシャルなんだけど、開けていようと思ったら何だか外が気になって……」
相当怖いらしい。
そういえばデートにしても香穂子とホラー映画は行ったことがない。
門扉を開けて香穂子が支えている扉の中へと入った。
「もう大丈夫だよ。 僕は香穂さん専属の騎士だからね」
いつもなら照れた香穂子に怒られるような台詞も、ほっと目許を和ませた。
(うわ………)
怒っても本気で怒っている訳ではないし、それはそれで可愛いと思うので一向に加地は構わないが、怯えきっていた香穂子が自分の一言で安心した表情を見せられ、妙に男心を擽られた。
何だか実物とすら闘える気すらしてきた。
「葵くん、先入って…」
後ろに回って加地の背を押す香穂子に促され、加地はリビングに入った。
「香穂さん、テレビまだ次の話が始まったばっかりだから怖くないよ」
「ほんと…?」
自分で視認しても加地の服の裾を掴んだままの香穂子を誘導してソファに座った。
「……香穂さん?」
「なに?」
「……なんか近くない?」
「だって怖いんだもん…!」
いつでも加地の後ろに隠れられるよう、加地の腕を掴んだまま臨戦態勢でテレビに臨んでいる。
「葵くんは怖くないの?」
「僕はなんだかんだと理由つけちゃうから、あまり怖くは無いよ」
「良いなー……」
返事を返しながら香穂子は神妙な顔でテレビを見つめる。
妙に緊張感を誘う音楽と共に話は進展していく。
丁度香穂子たちの年代の男女グループが、その中のひとりの反対を押し切って廃病院へ肝試しに行く。
涼しい筈なのにどこか生温い風。
それは朽ちた建物の僅かな隙間を通り、低いような高いような音と共に彼らの体に纏う様に舞う。
新しい乾電池を入れた筈の懐中電灯は切れ、余りの暗さに何故か圏外の携帯を灯にしようと開いたとき、その圏外の筈の携帯、が――――、
――――トゥルルル
「きゃああっ」
テレビの中の携帯と、香穂子の家の電話が同時に鳴った。
流石に加地もドキリとしたが、それよりも悲鳴と共にしがみついてきた香穂子にドキドキする。
狼狽する香穂子と、その香穂子に動悸が早くなった加地を余所に電話は鳴り続ける。
「香穂さん、流石に僕じゃ取れないから…」
「わ、わかってる、けど…」
耳を塞ぎながら香穂子は電話へと向かう。
「はい、日野です」
テレビでは電話の相手はその病院に縁があるだろう患者らしき人物だが、香穂子の方は時間から見て今はいない彼女の家族だろう。
香穂子を気にしながら加地は手持ち無沙汰でテレビの続きを見る。
「お姉ちゃ…びっくりさせないでよもー!」
緊張の糸が切れたらしい香穂子の声に何処か安心した。
香穂子とは違う理由だろうが、緊張していたらしい。
現にテレビでは最高潮の盛り上がりを見せているが、頭から離れないのは電話の音よりも香穂子のあたたかさとやわらかさ。
デートでは手を繋ぐのもお互いまだ少しどきどきして、「安心」にはまだ遠いが、触れたくない訳ではない。
(いいなあ、ホラー…)
今度映画に誘ってみようか。
怒られそうだが。
それ以前に自分の心のレベルも上げなければならない。
「えっ待ってお姉ちゃん!」
突然香穂子が色を失って半ば悲鳴のように電話の向こうの実姉を引き止めたかと思うと、力無く受話器を置いた。
「香穂さん?お姉さんなにかあった?」
「なにかって…いうか……」
香穂子は迷った風を見せ、諦めたように加地に近付いた。
香穂子が近付きながらもテレビを出来るだけ見ないようにしているのが無性に可愛いと思う。
香穂子は加地の横が正面になるようソファに座ると、ひとつ溜息を吐いた。
「……葵くん、明日暇?」
「明日は暇だよ。ふふっなぁに、デートに誘ってくれるの?」
軽いトーンの加地の声に安心したのか、香穂子は固かった表情を少し困ったようなものに変えた。
「あのね、お姉ちゃん今晩帰らないことになったんだって。
…それで泊まって欲しいなー、なんて…」
「へ?」
香穂さんの家に泊まる?僕が?
言っていることはわかるが理解が追い付かない。
ていうか何か保たない気がする。
理性が、なんてみっともないこと僕に限って有り得ない。
保たないのは心臓。
…なんだかもっとみっともない気がするけれど、ああなんか本題から反れた、
「いや、拙く、ない?」
「駄目?寝る前とかテレビ思い出しそうで怖いんだけど…」
丁度番組が終わり、エンディングロールを流すテレビをちらと見、香穂子は加地を見上げた。
困ったように眉を寄せ、首を僅かに傾けて、計算無く身長差故のほんの少しの上目遣いが、加地の心臓を忙しなくさせる。
理性が保たないなんてみっともない真似を危惧しているんじゃない。
これだけで早くなった心臓が、切れない自信はあるがそれでも理性が遠くなる夜を香穂子と過ごしたりすれば、もう止まってしまうんじゃないか。
「お願いっ」
「……もう、僕の負け。勝目なかったけど。 …わかったよ」
…それ以前に、香穂子のこの『お願い』を却下するなんて出来る訳がない。
それでも一晩今の自分を呪うんだろうなぁと、頭の片隅で思った。
はぁ、と溜息を吐いて安心して笑顔になっている香穂子を見た。
「香穂さん?僕だから良いけど、男を友達でも信用してほいほい夜上げちゃ駄目だからね?」
信用していないというより、香穂子の人に対しての純粋さを慮って言ったが、香穂子は笑った。
「そんなの、葵くんだから呼んだんだよ」
ホラー番組はいつしか終わり、ニュース番組へ変わる。
くすりとも笑わないキャスターが伝える何処か遠い場所の事件よりも、今目の前のことが現実感を伝えないまま過ぎていく。
「えと、とりあえず、何か飲む?」
返事を受け、飲み物を用意する香穂子の後ろ姿を見守りながら、ああなんか新婚みたいだなんて考えて、僅か数十秒で後悔するなんてことは紅茶かコーヒーかの選択だけで一生懸命になっている今の加地はまだ知らない。
おまけ。
「そうだ、寝間着どうしよう?お兄ちゃんかお父さんのシャツか何か…」
「………このまんまで寝るから…」
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