放課後に音楽準備室で待ち合わせた金澤と冬海。
「駄目ですっ!そうやってサボるでしょうっ」
「……準備室で待ってろとは言ったがな……」
待ち時間にも限度があるだろう。
金澤は不可抗力とはいえ、ここに来るのが遅くなった自分を怒鳴りつけたくなった。
心の底から辟易している金澤の視線の先にはパイプ椅子に座ってくぅくぅと寝ている、冬海がいた。
今日の最終授業となった六限目。
冬海のクラスの担当は金澤だった。
「あの、金澤先生」
授業が終わったあと、冬海は金澤に遠慮がちに話しかけた。
「えと、放課後にお休みだったひとの分のプリントを頂きたいんですが…」
「ああ…」
授業で資料として配ったプリント。
ホチキスで留める前に抜け落ちたのか一枚中身が足りない部数がひとつだけあり、休んだ生徒の分を回して授業をしたのだ。
「来週っつっても忘れそうだしなあ」
三十三年付き合った自分の性格はよく知っている。
忘れて生徒から小言を貰うよりは、ずっと良い。
「放課後になったら準備室な」
言って笑った金澤に冬海も微笑んで了承し、ぺこりと挨拶をして自分の席へ着いた。
担任クラスを持たない金澤はHRの時間にプリントを確認し、職員室で過ごしていた。
プリントの文字を何となく見ながら律義な教え子を思い返した。
休んだ生徒と彼女がどれだけ交流を持っていたかは知らないが、それは余り大きな問題ではないのだろう。
あんな風に律義で純粋な手合いには慣れない。
だが、最近楽しくは、ある。
思い至って自分の信条と立場を思い出す。
小さく失笑し、首を振った。
先に準備室に行って待っていようと立ち上がった。
「金澤先生?何処へ行かれるんですか?」
「あー…準備室に野暮用ですよ」
椅子の背凭れにかけていた白衣を手に取り答える金澤に同僚の教師は眉をしかめた。
「朝ミーティングで言ったでしょう。これから職員会議ですよ」
聞いて今朝の記憶を手繰って舌打ちしたくなった。
「……すぐに戻る」
「駄目ですっ!そうやってサボるでしょうっ」
さっさと座れと目が語る。
HRが終わり職員室に戻ってくる教師を見、心の中で冬海に謝りながら席に着いた。
急いで戻った金澤が見下ろす先に、規則的に肩が揺れる冬海。
もう帰っているだろうと高を括った自分が今では心底信じられない。
相手は、冬海笙子なのだ。
「要領が悪いというか何というか…」
罪悪感からぼやきながら金澤は持っていた白衣を冬海にかけ、隣りのパイプ椅子に出来るだけ音を立て無いよう慎重に座った。
伏せられた長い睫毛が作る影を見て、要領が悪いのは自分だと笑った。
自分の想いに気付いているのに、教師と生徒の立場を考えなくてもこうやってゆったりと流れる時間を共有するだけで強く暖かな充足感がある。
(三十路の考えではないわな…)
それでも、愛しいのだ。
この穏やかな時間は、自分の全てを赦してくれる。
隣りに在ることを言葉ではなく、彼女が作る空気と音楽が受け入れてくれる。
ふ、と気配に紛れるように金澤は笑みを作った。
時折くらりくらりと揺れる冬海の体を彼女の眠りを妨げないよう、ゆっくりと自分の肩に預けさせ、穏やかに目を閉じた。
もう少し、この優しい時間に包まれていたいと願った。
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