バレンタイン。作るのはただの経過。
渡すことこそが努力。
「少し、話をしよう」
「香穂、おはよー」
「おはよう菜美。それとバレンタインっ」
「ありがとー」
チョコを受け取りながら語尾にハートが付きそうな程喜ぶ天羽に香穂子はその反応に嬉しくなった。
「一か月後頑張るからっ」
「楽しみにしてる」
バレンタインはチョコを貰う日だ、渡す日ではないと言う天羽の信条を聞いたのは一週間前。
それが事実となり、まるで付き合って年数が経った恋人のような会話を繰り広げている。
「で、ヴァイオリンロマンスのヒロインは誰かにあげるの?」
「ヒロ……。参加者と先生と王崎先輩にはあげるよ?みんなにね」
悪戯っぽく付け足す香穂子に天羽は小さく唇を尖らせた。
「なぁによ面白くないー。心配しなくても記事にはしないよ?」
「知ってる。だけどほんとにみんな横並びのチョコだよ」
香穂子が持っていた小さな紙袋の口を開けると、掌ほどの箱がそれぞれリボンをかけてられ詰められている。
「ちゃんと考えたんだよー?笙子ちゃんとか志水くん、火原王崎先輩とか、甘いの平気そうなひとはミルク。
で、金澤先生とか月森くんとか土浦くんとか、駄目そうなひとにはビターだったりミルクと混ぜたり」
「凄いけどさぁ」
義理もそこまでやれば本命と然して変わらない。
言いかけてあ天羽はふと気付いた。
「柚木先輩は?」
「…………あるよ?」
「何その間」
すっと香穂子が窓の外を指差した。
その先に視線を向けると、黒塗りの車すらも埋め尽くす勢いの女子生徒。
「………あー」
「あの中で手作りって幾つだと思う?」
「さあ…」
「…あの中で、高級メーカーのチョコって幾つ?」
「……わかんない」
少し苦笑して香穂子は窓から目を逸らした。
「みんなもモテるだろうから結構な数貰うんだろうけど…柚木サマには渡せないかなって」
「香……」
「日野さーんっ美少女のお客さーん!」
突然呼ばれた方を見ると扉近くで予期せぬ誉れに慌てている冬海がいた。
その手には丁寧にラッピングされた包み。
香穂子も天羽に一言断り、冬海へと用意した箱を持って彼女の元へと行った。
残された天羽は香穂子がみんなへと用意したチョコを入れた紙袋を見る。
その中の一番奥にしまわれた紫のリボンがかけられた箱。
「全校生徒の前で舞台に立つより、バレンタインチョコに躊躇するんだからわかんないわよねー…」
「えぇと…」
三年は自由登校に入ったが柚木は朝に見た。
火原はここぞとばかりに休むのではなく寧ろ残り僅かなクラスメイトといる時間を惜しむために学校へ来るだろうと見越して彼らのクラスへと足を進めた。
ふと冷たい視線を感じ、そちらを見ると柚木親衛隊の先輩方が餞別にもならない睨みをくれている。
引き攣った笑いで無かったことにし、手近な先輩を掴まえて火原を呼んで貰った。
「日野ちゃん?何だか久し振りだねー」
「三年生は忙しいですもんねー。
あのですね、バレンタインなんで世間に倣って作ってみまして。みんなに渡して回ってるんですよ」
箱を差し出すとぱっと顔中に喜色が広がった。
「ほんとに?良いの?!」
「…作ったんであんまり期待されると…」
香穂子の予想以上に火原が喜び、作ったもおかしいかと言おうとしてやめた。
底抜けに明るい先輩がここまで喜んでくれているのに水を注す意味は無い。
「ありがとう御座います、火原先輩」
「こっちこそ!ありがと、日野ちゃん!」
くすくすと笑いあって、香穂子は視線を教室に投げた。
「あの、柚木先輩は…」
「柚木?今ー…いないみたいだね。渡しとく?」
柚木の席と思われる机には綺麗に包装された幾つかの箱。
一つ前のやはり幾つか置かれている机は火原だろう。
やはり貰っているのなら、ありすぎても邪魔なだけ。
「あっいえ…。もう良いんです」
「言伝はもう要らないよね?」
頭上で聴こえた声は、ふたりでいるより高い。
「気を遣わせてごめんね火原、日野さん」
「柚木先輩……」
少し上の空で呟いた香穂子が気取られているのは、柚木が軽く息を切らせていること。
「渡せそうで良かったね日野ちゃん」
「はい…」
少しまだ胸の奥がざわついている。
ちらりと柚木を見上げるとにこりと綺麗に微笑んだ。
「少し、話をしよう」
言いながら極自然に手を取られ、香穂子はさっきから一挙一動に気を奪われてばかりだと自分に少し呆れた。
人気の無い踊り場で、窓に背を凭せ掛けた柚木に向かい合う香穂子は恐る恐る口火を切った。
「受けとってくれるんですか?」
「受けとって欲しいなら受けとってあげるよ」
きゅ、と箱を持つ指先に力を込めて、柚木に差し出した。
かけられているリボンは違うものの箱は盗み見た火原へのものと同じもの。
「ふぅん?おれに義理チョコ?」
「……お世話になりましたから」
良いけど、と呟いた柚木の手をかけられたリボンを見て香穂子はぎょっとした。
「だっ駄目です!家で食べてください!」
両手をリボンの端を持つ柚木の手に覆い被せた。
怪訝そうな顔をし不機嫌になった柚木が何かを言う前に香穂子が早口で言った。
「いっ良いからお願いしますっ」
「難儀な奴だな。……ま、そこまで言うんだから構わないよ」
ほ、と肩の力を抜いた香穂子を見て柚木は少し笑った。
「お前からのチョコも受けとらない男だと思った?」
「というかあたしから、だからです」
俯いて苦々しげに言う香穂子に柚木は意地悪く口角を上げた。
「殊勝だね。ま、奴等と違ってひとりで来るのがお前らしいけど」
極単純に褒めているのか、皮肉なのか判別し兼ねて考えるのをやめた。
「先輩、それひとりのときに食べてくださいねっ失礼します」
「日野?」
くるりと身を翻して階段を駆け降りた香穂子の後ろ姿を見送り、その視線を手中の箱に落とした。
「ひとりで、ねぇ…」
踊り場から階段を登りきり、壁際に腰を降ろした。
家で、と言わない日野が悪いと理由を付けリボンを解いた。
箱を開けると丸やら星やらに形作られたチョコ。
上にはホワイトチョコで斜線が入っている。
一つ口に運ぶとカカオが香り口腔で融けた。
和菓子を食べることの方が多い柚木を気遣ってか、チョコ自体は余り甘くないが、ホワイトチョコが丁度甘さを補う。
頭の片端で、自分たちの関係のようだと思った。
突き放し合っているのに何処かで合わずにはいられない、微かに甘さを帯びた………。
「なんてな…」
柄に無く貰えるか期待と不安が胸を占めていた。
甘さを帯びているのは自分の思考だ。
手持ち無沙汰に左手に持っていた箱の蓋を見た。
「ん……?」
一枚のカードが緩く貼られていた。
英文で綴られた言葉。
見覚えのある丸い字は英語が嫌いだと言っていた香穂子のもの。
「『Though I am all enthusiast,』……」
箱を掴んで階段を早足で降りる。
それでももどかしくて目的の場所までいつしか走っていた。
「どうしよう……」
あの先輩がわからない訳がない。
自分が辞書を引きながら書いた文をいとも簡単に読んでしまう。
呆れられたらどうしよう。
熱で瞳が潤んだのがわかる。
やっぱり嘘ですと言ってしまおうか。
紫のリボンなんてあからさまなラッピングしといて通用するとは思わないけれど。
「日野」
背中にかかる、さっきと同じ自分だけの声色。
さっき会ったときよりも、荒くなっている息遣い。
顔が真っ赤なのはわかっているが、それでも柚木に向き合った。
「はい……」
柚木の手には件のカード。
「『Though I am all enthusiast , it is you just one that love』
……これの返事、聞いとく?」
Though I am all enthusiast , it is you just one that love(みんな好きだけれど、愛してるのはあなただけ)
I merely than all love only one you.(おれはみんなよりもただ一人お前だけを愛してるよ)
PR