柚木が香穂子を突然拉致って花見。
「お前は誰彼構わない上、物までくっつけるとはね」
『今日暇だろう?あと十分で着くから準備して待ってろ』
そう一方的に話をしてきっかり十分。
「ふぅん、出来るじゃないか」
「すっごい怒濤の十分だったんですけど、あんまり女の裏舞台に突っ込まないでくださいね」
一息ついてぱたぱたと服の皺を確認する。
本当に怒濤だったようだ。
「おいで、今日は良い処に連れていってあげるよ」
そう言って手を差し延べる柚木は、毎回香穂子が喜びそうなところを選んで連れていく。
頬が思わず緩んだ。
そして数十分車に乗り、ある場所で止まった。
その間「どこに行くんですか」と聞いてもはぐらかしのらりくらりと躱す。
かと言って香穂子が不貞腐れると指先で髪や頬に触れてそれすら許さない。
許してしまう自分が一番甘いのだけれど。
着いたのは街から外れた小さな公園。
淡紅の桜が千にも万にも咲き誇り、一時の栄えを誇示している。
薫風に煽られ散る様は花時雨。
「う、わ……っ」
「気に入った?」
香穂子の反応に満足そうに微笑みながら柚木は形だけで尋ねた。
「染井吉野は今満開だからな」
「綺麗…っ」
宝物をみつけた子供のようにきらきらと目を輝かせ感極まっている様子の香穂子に笑みを零した。
「お気に召したようで何よりだよ、お姫さま」
「んもう……」
言い回しに照れて、公園の中へ駆け出した香穂子の背に声が掛かる。
「こけるなよ」
「こ、こけませんっ」
「どうだかな」
くすくすと笑いながら緩やかにその背を追って歩く。
エスコート役に徹するらしい柚木は、香穂子がベンチに座ろうとしたのを制止し、積もった花びらを払い、恭しく手を貸す。
桜よりも色濃く頬を色付かせた香穂子にわからないように笑みを深くする。
幸せだと、思う。
桜色に彩られたこの幸せを、何があっても守りたいと思う。
ただ彼女が側にあればそれで良い。
彼女が幸せであるなら誰が隣りでも良いだなんて綺麗事はもう嘯くことすら出来ない。
香穂子が、ひたすらそばに在ることだけが欲しい。
(ああもう、全く……)
随分と女々しくなったものだ。
自嘲に歪むはずだった口許は綺麗な弧になるばかり。
唐突にあ、と小さく言って手を延ばした。
柚木の髪に絡むと思った一枚の花びらは空気抵抗を受けて揺らめき微かに濃紫の髪を撫でただけだった。
掴めなかったことに少し残念そうにする香穂子をくすりと笑った。
「髪に花びらついてる」
「へ?」
頭に手をやり払おうとしたが、位置が確認出来ない香穂子の手ではそれは叶わず、見兼ねた柚木が髪に絡まった花びらを摘んだ。
「お前は誰彼構わない上、物までくっつけるとはね」
「何ですかそれ」
摘んだ花びらに軽くふっと息を吹き掛け飛ばした。
「お前は悪い虫までくっつけるって話」
「虫っ?!」
小さく息を呑んで肩やら腕やらをはたく。
「と、取ってくださいっ」
柚木に花冷えによるものではない頭痛がうまれる。
そうじゃなくて。そうだから、くっつくんだよ。
「……良いけど。動くなよ?」
柚木が何処か楽しげに笑ったことすら見逃して香穂子は身を堅くした。
さっと顔を近付け、香穂子の首筋に半ば噛み付く。
「い……っなんですかっ」
柚木の突然の行動に噛み付かれた場所を押さえて顔を真っ赤にし声を荒げるが、素知らぬ顔で長い脚を組み、笑った。
「だから、虫除け。手の中のものと合わせてな」
「て……?」
視線を落とすと左手に見知らぬ指輪。
銀輪に薄く桃色に付いた、小さな桜を象った装飾がついている。
「雅の買い物に付き合ったときに見つけてな。お前が好きそうだから」
聞きながら嬉しさと愛しさが香穂子を支配する。
もしかして、これを渡すためにわざわざ誘ってくれたのだろうか。
大学へ進学して、忙しいのに。
学校への通り道にも桜並木はあるのに、わざわざ時間をかけてここまで来たのは、そんな素振りは見せないけれど少なからず緊張していたとしたら?
「………っ」
長い髪で遮っているが間から垣間見える顔は普段の白い肌と比べて少し赤い。
眼前で舞い散る桜と、同じくらいの朱さ。
「何か言え」
「………どうしよう……」
手の中の指輪を握り締める。
「うれしい…っ」
疑ったことはないけれど、実感が込み上げる。
一番好きなひとの、一番すきなひとでいれてると。
「もう…明日菜美に聞かれたらどうしよ……」
指輪はともかく、首筋のあとは詳らかにし辛い上それを信じてくれるかわからない。
それ以前に未だいる柚木のファンが怖くて詳らかにしたくない。
「その様子だと嵌める場所はわかってるみたいだね」
貸して、と香穂子の手から指輪を取ると輝くべきところに嵌める。
「でもあたし、梓馬さんが心配する微塵ほどもモテないですよ?」
「………自覚がないならそれでも良いけどな。それならそれで「差押え」の札だよ」
「さ、差押えって……」
少し体を倒しベンチの背凭れに体を預けると香穂子の方を向いて彼女の髪を一房掴んだ。
「当たり前だろ?おれの心を根こそぎ持っていったんだ。
代価は高いぜ?」
にっと笑い、香穂子に視線を絡めたまま髪を弄る。
その仕種と指輪に甘く縛られてまどろむ。
夏には向日葵の鮮やか黄色や、光に当たって輝く海の蒼。
秋には朽葉の枯れ葉色や、暮れゆく空の茜色。
冬には雪の真白と、それと同じ色した白兎の瞳の朱。
もしも、今のこの幸せに色形があるならば。
沢山の色を魅せる季節が始まる春を彩る、淡紅の桜。
PR