加地にとって香穂子が平穏であることが全てに勝る。
「日野、もう諦めろ」
「さ、寒……っ」
晩秋が過ぎようとする普通科の教室で、香穂子は季節が移りゆくのを肌で感じ、かたかたと震えていた。
「香穂子寒がりだから」
性格と同じように明るい髪を揺らして笑いながら天羽は飲んでいた紅茶を差し出した。
「さっき買ったばっかりだからあったかいよ」
「ありがとーっ」
一口飲み下し、じわりと喉から暖かさが広がる。
それでもやはり寒いのだけれど。
「ふぁー……」
「あれ天羽さん、日野さんとこ来てたんだ……ってどうしたの日野さん」
カフェテリアに行っていた加地が戻り、香穂子の様子に気付いた。
「もうね、凄い寒がりなのよこの子」
「そんなことないよっ」
だがどれだけ手を握っても足を突っ張ってみても寒いものは寒い。
「風邪?」
「至って平熱だよ」
思わず香穂子の額に手を延ばしかけた加地の手は、香穂子の顔色を見てその心配は無いと判断し、ほんの少し下に下げ近付けた。
ぺと、と香穂子の白く細い首筋にその手を当てた。
「ひゃあっ…ってあれ?」
「ふふっびっくりした?どう?僕の手あったかいでしょ?」
こくんと頷いた香穂子と柔らかく笑う加地を、天羽は目のやり場に困った。
否困る必要はないと思うが、友人の男女としてその距離感はどうだろう。
見ていて照れくさいものが込み上げる。
「?奈美?」
「なんでも?あぁーっとチャイムが鳴ったから戻るね!」
「天羽さん紅茶ー」
「わゎっありがと!」
香穂子から手を外しペットボトルの紅茶を揺らして差し出す加地からそれを受けとり、天羽は鳴り響くチャイムを背に教室を出た。
「日野さん、手は大丈夫?」
「んー冷たいよー」
先ほど加地が触れて暖かさが残る首筋に手を当てようとした香穂子のそれは加地のそれに取られた。
「あたたかい?」
「か、加地くんが冷たくなるよ」
「ううん、平気だよ。
それに日野さんが冷たいよりずっと良いよ」
「お前ら授業始めて良いか?」
いつの間にか入っていた教師に驚き、香穂子は頬を染めながら前を向こうとする。
が、それは叶わず上半身を捻ったに過ぎない。
「か、加地くん?」
ただにっこりと香穂子の手を握っている加地。
「ノート取れないよ」
一応授業も聞いてくれるか、と口を挟む教師を黙殺し、加地は事も無げに告げた。
「ヴァイオリニストが指先冷やしてどうするの?
それに日野さんがこんな冷たい思いするのは耐えられないよ」
つらつらと教室中の皆が聞いてることを無視して言う加地の科白に香穂子は顔がやたらと熱くなった。
ただあくまで顔だけ。
加地の手に包まれた指先は依然冷たいまま。
くすくすと忍びきれなかった笑い声が香穂子の耳に届いた。
「せ、せんせぇ……」
唯一の救いの手となり得る教師を見やるとふぅと短く嘆息した。
「日野、もう諦めろ。授業始めるぞー」
「えっちょっと先生?!」
出席を付け終えチョークを持った教師に先刻された香穂子はちら、と加地を見た。
顔に感じた熱は徐々に体に巡り、じわじわと香穂子の体を暖める。
この授業が終わる頃には、体が暖まってくれたら良いのだけれど。
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