柚木と香穂子の年の瀬。
「あたしも少しくらい考え事くらいしますっ」
冬休みは年末年始の忙しさから、何となく他の長期休暇とは違う感覚がある。
年末年始は忙しいのではないかと遊ぶのも誘い辛い。
だからこそ冬休みが開ける日は久し振りに友人と会えるのが嬉しかったり、世間に則って「明けましておめでとう御座います」なんて頭を軽く下げ合うのが擽ったかったり。
久し振りに会える嬉しさが好きで、休み明けのこの日は他の休暇と違って楽しみだったけれど、今年だけは酷く辛い。
最近こんな想いをしたなと振り替えれば、年が明ける瞬間のカウントダウンの時。
年が変わる。
ひとつ、未来に近付いた。
それは、恋人との別れが近付いた証。
いや一日一日近付いている。
一日一日怯えてはいたが、大きな数字として見ると現実感が違う。
現実感と焦燥感。
ぐるぐるとミルクを入れたコーヒーのように混ざり合い、不安に変わって混ざり切った。
ただ、大学に上がってしまうのであればここまで不安になることもきっとなかった。
少なくとも感じたのは焦燥ではなく寂しさだったはずだ。
彼は、他でもない柚木梓馬で、音楽も十八の高校卒業まで。
繋がりが、消えてく気がして。
音楽コンクールで知り合って、一緒にいる口実までもが音楽である自分たちからそれを無くせば、あとは一体何が。
「……か、……香…穂…香穂子っ」
思考が負の方向へ向きつつあった香穂子を抜け出させる声が響いた。
「あ…柚木先輩」
「『柚木先輩』、じゃないよ。
珍しく先に待ってるから褒めてあげようと思ったら、先に来てたお前が俺を待たすなんてどういう了見だ?」
ん?と堂々と素の「柚木梓馬」を晒し、笑顔で香穂子を見下ろした。
「あたしも少しくらい考え事くらいしますっ」
「へぇ?俺を待たせる考え事なら何考えてたか聞く権利あるよな?」
恋人は嫌味なほどの笑顔でたった今発布された権利を発布と同時に行使した。
その顔が、いつもと変わらない。
それに安堵すると同時に少し切なかった。
「……何でも無いです」
どうせ栓の無いこと。
悩み泣いたところで卒業の日が遠くなる訳ではないのだから。
不意に、空気が和らいだ。
見上げれば柚木が有りのままに微笑んでいた。
「……馬鹿だね」
くすくすと笑いながら香穂子の額を指弾した。
「ぅ痛っ」
「可愛いこと悩んでくれるじゃないか」
「何で……」
「香穂子が考えてること位わからない俺だと思う?」
するりと香穂子の頬を柚木の指先がなぞる。
「正直ね、分は悪いよ。
どんな事でも俺の我儘がハイそうですかと叶う家ではないからね」
きゅ、と唇を軽く噛んで香穂子は再度俯いた。
「それでもお前の心をまるごと貰った俺のけじめは、俺がちゃんとつけるよ」
俯いた頭に降り注ぐ、優しい声音の愛しい誓い。
「精々お祖母さまに披露出来るくらいにヴァイオリンの腕上げとけ」
「せんぱぁい…」
「全く…高校と大学で離れてる間なんてお前の一生のうちで一瞬だよ?
……だから、別れじゃない」
思い切り抱き付いた香穂子をまるで幼子をあやすように撫でた。
さっきまでとは違う、透き通るような安心感。
弓張月を描く唇が時折幸せそうに綻ぶ。
自分から言ったことは決して違えないひとだから、信じられる。
「今年と…これから、宜しくお願いしますね」
「しょうがないからね」
おどけて笑いあう。
自分のために尽力してくれると言うなら、自分は彼を信じて誰に紹介しても恥ずかしくないような女(ひと)になる努力をしたい。
「先輩、宜しくついでにお願いがあるんですけど」
「何?」
人生で長い間一緒に居れても、今しか出来ないこともある。
高校時代の、今しか。
透き通るような笑顔で、香穂子は手を伸ばす。
「今から放課後デートしてください」
一瞬虚を突かれた柚木の顔がふわりと笑顔に取って代わる。
「喜んで、俺のお姫サマ?」
香穂子の手を掴んだその掌は、冬の直中に感じる、近付く春のあたたかさ。
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